復興とは何かを理解できない不幸

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お盆であります。3.11から6カ月目になると言うのに、であります。あまりにも時間ばかりが、無駄に過ぎていくのであります。

こんな状況にもかかわらず、あいもかわらず、「自助」と言う言葉を好んで使う人々が絶えないのは、いったいぜんたいなぜなのか。(正論だった「松龍発言」−反省すべきは地方首長では?<いったいなぜ首長が反省?笑止千万としか言いようがない)

いまのいまを被災者が「生き延びている」のは、「自助」以外にはありえないのに、なんでこんな簡単なこと、理解できないのか。

いまだ、節電の名のもと、夜間の街灯を消している自治体があるのもそうでありますが、これらことごとくのお頭には、まったくもって想像力、思考力、構想力が決定的なまでに欠如しているとしか言いようがないのであります。

「復興」とは、いったいなんであるのか。

この「構想力」の欠如もまた、まことに甚だしい限りなんであります。

「復興」の「復」とは、「往復」の「復」。すなわち「帰る」であります。

どこに「帰る」のかと言えば、もちろん元いた家に帰るのであります。

この家が津波で流されて、ない。

どうするか。

これこそが「復興」の「基本計画」なんであります。

この「帰る」ことを原点において考えると、「復興」とはこの二つしかない。

■元の居住地に整備して戻る

■高台など安全地域に居住地を移転

この二つのどちらを選択するか、被災地域ごとの自治体が集合して決める。もちろん地域によっては、この二つの組み合わせもありえるけれど、基本方針はこのどちらかになると言うことであります。

国は、地方がこの二つを選択するための法律を整備する。

例えば「元の居住地に整備して戻る」ためには、あらたな防潮堤の建設や、避難塔あるいは避難用ビルと緊急警報塔設置の義務化などを定め、再び巨大津波の被害にあうことがあったとしても、家屋は流されても人命の被害を最小化する施策を行うなどであります。

特に、避難困難者のいる病院、介護施設、老人施設、在宅介護家庭については、万一の場合確実に安全を確保するために、防潮ビルの建設基準を示し、介護家庭となってしまった場合の介護期間中の施設の斡旋ルールの整備を図っていくのであります。

また、「高台など安全地域に居住地を移転」を選択した地域については、元の居住区域を単に公園などにするのではなく(もちろん公園にすれば避難塔付き)、漁港などを中心にした、流されてもいいことを前提にした産業施設を積極的に建設し、産業復興を積極的に推進していくのであります。

福島原発避難地域については、ここ10年を目安に後者とし、福島県とその近隣県に居住地を確保し、新たに街を建設する。生産農家や工場については居住地域とは別に用地を確保し、事業の再開を全面保障するのであります。

そして10年後。安全が確認された元の居住地域は、住民の選択によって、もし「元の居住地を整備して戻る」となった場合は、国が責任もって防潮対策した街に再建するのであります。そしてみな元の家に「帰る」のであります。

お盆で、人はなぜ帰省するのか。

それは帰るべき「家」があるからでも、人が挙って帰るからでもなく、ただ一つ、「帰る」ことそのものに意味を見出しているからに他ならないからであります。

「帰る」ことと「祈る」こと。先祖の霊の「帰り」を「祈る」と同じ。人は「帰る」こと、そのものに根源的な「希望」を感じることができるのであります。「復興」の本質が、この「帰る」ことにあると理解して初めて、「復興」は始まる。つまりは、そう言うことなんであります。 KAI