みなさん、そろいもそろって知性に変調をきたされるのは、いったいぜんたいなぜなんでありましょうか。
彼女のこのコラムは、いままで何度もここでとりあげてきましたが、最近つとに凡庸な内容で、今回もまた同様なんであります。彼女にとって松本発言は「いささかの言葉尻」程度の問題であるとの認識であります。松本龍復興担当相が、岩手、宮城両県を訪ねた際、「知恵を出したところは助け、知恵を出さないやつは助けない」と発言したことに対して、自民党の石原伸晃幹事長が「ご自身が誤解のないように(説明)するか、辞めるかのどちらかだ」と言った。しかし、私の周囲では、松本発言と同じ考えの人が多い。(後略)
(産経新聞、透明な歳月の流れ、松本復興相発言 偉大さと悪 両方あってこその人生、曽野綾子、2011/7/6、p.7)
ウチダ先生もこれにコメントして、「自助努力が必要」とのことで、内容に問題なしと仰るのであります。松本大臣が知事に対して言ったことは、そのコンテンツだけをみるなら、ご本人も言い募っていたように「問題はなかった」もののように思われる。
Youtube で見ると、彼は復興事業は地方自治体の自助努力が必要であり、それを怠ってはならないということを述べ、しかるのちに「来客を迎えるときの一般的儀礼」について述べた。
(暴言と知性について)
KAIからすれば、お二方の「内容に問題なし」との認識こそ、大いに問題があると思うのでありますが、一方でその他、BLOGOSには、この問題に関して数えきれないくらいの問題ありとする論評があがっているのでありますが、その多くの理由にも微妙に違和感を感じざるを得ないのであります。
この違和感がなんであるのか、考え続けて、やっと、違和感の正体が見えてきたのであります。
ひっかかっていたのは「助ける」と言う言葉であります。
はたして、今回の問題は、「助ける」「助けてもらう」の関係が成り立つ問題であるかどうか。
たとえば、今回の震災が東京都直下の地震であったならば、今回の会談は「松本・石原」会談となっていたはずですが、このとき「松本」が「石原」に「助ける」と言う言葉をはたして使うことができるものかどうか。
これをひたすら考えるに、どうしても「一緒に協力して」としか言えないのではないかと考えるのであります。
すなわち、今回の震災は、日本と言う国家そのものを襲った震災だと言うことであり、一地方の震災のように自治体が主体となって復旧復興できるレベルをはるかに超えて、国家そのものの存亡にもかかわるレベルのものだったと言うことであります。
つまり、国家が主体となって復旧復興に取り組むべき問題であるからして、その責任者となった松本は、いの一番に、復旧復興の遅れを陳謝する以外には、首長にあわせる顔がないにもかかわらず、恫喝まがいに「助ける」「助けない」とふざけたことを吐いたと、つまりはそう言うことなんであります。
そもそもからして、「国」と「地方」の関係は、「助ける」「助けてもらう」関係ではなく、「一緒に協力しあう」関係以外にはないのでありますが、これを見事なまでに官僚制民主主義が捻じ曲げてしまっているのであります。
そして、もうひとつ、今回の問題でウチダ先生が書いている「自助努力」と言う言葉についてであります
自助と言えば、かの関東大震災後の復興プランを手がけた後藤新平。
これを読んでいただければ、あえてご説明するまでもないのでありますが、「自助、互助、自制の精神」とは、「都市社会の構成員」すなわち住民一人ひとりについて心の在り方を述べたものであって、決して自治体の首長に向けて発せられる言葉ではないことが、ご理解いただけることと思うのであります。NHKの「その時歴史が動いた」はいつも楽しみな番組です。今回は、人を衛(まも)る都市をめざして〜後藤新平・帝都復興の時〜です。
関東大震災後の復興プランを手がけ、現在の東京の原形をデザインした政治家・後藤新平。もともと医者だった後藤は、社会を生物の体にみたて、「人と人とのつながりがうまく機能することで世の中が発展する」という独特の思想を抱いていた。後藤のこの考えは、関東大震災後、帝都復興院総裁として東京の復興を任された際、「区画整理」という新たな都市計画プランの実現につながっていく。“社会の医者”とよばれた後藤新平の情熱と信念を描く。都市計画についてKAIはまるで素人ですが、この後藤の考え方は、今KAIの考える自己組織化アプリケーションに通ずるものがあるように思います。
そして都市社会の構成員としてのあり方について、後藤はこんなことを言っています。
標題の「自助、互助、自制の精神」です。「人のお世話にならぬよう」が「自助の精神」。「人のお世話をするように」が「互助の精神」。「報いを求めぬよう」が「自制の精神」。「まず我が身を修めるというほかはない。我が身を修める自治の力が治国平天下の基礎である。
かねて私のいう自治の三訣(さんけつ)『人のお世話にならぬよう。人のお世話をするように。そして報いを求めぬよう』と少年時代から心がけてこれを実行するのであります」
(自助、互助、自制の精神)
この意味でも、曽野綾子もウチダ先生も、まったくもって「知性」を欠いておられると言わざるを得ないのであります。 KAI