バカはいかに思考するのか−−実証研究編(5)

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昨晩はあまりにはらがたって書いてしまいましたが、一眠りしてもまだ治まらないのであります。

いやほんまに、驚いた。

みなさん、テレビ見ました?

やくざと言ったら、やくざにおしかりいただくくらい、やくざ顔負けの品のない。いえですから、やくざでももっと品のあるセリフ吐きよりますがな。

もうめちゃくちゃ、はらがたってきた。

この復興の遅れ、まずもって開口一番、陳謝すべきは、

お前だろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

それにしても、「バカ」ばっかりと思っていたら「キチガイ」まで現れてしまったのであります。

この「キチガイ」と言う言葉、久しぶりに使うのでありますが、「バカ」と何が違うかと言えば、「バカ」は「バカ」なりに「バカの思考過程」と言う「思考のフレーム」の「内部」の存在であったものが、これを「キチガイ」は「外部」にまで押し付けるのであります。

自分と会談する知事やこの取材記者にまで、言いたい放題。

報道するなと言ったその映像がテレビで流れ始めて、さすがにこの映像の「異様」さに非難が集中し始めると、「長幼の序」などとまるで本義を理解しない言葉まで持ち出して強弁する。

みなさん、こんな畜生以下の生き物が、日本国の「大臣」なんですよ。

おかしいと思いませんか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

気を取り直して、考えるのであります。なんでこんな「キチガイ」大臣までが出てくるのかと。

これを考えるヒントが、「キチガイに刃物」と言う言葉であります。

非常に危険であることのたとえ。
気違(きちが)いに刃物

そうなんです。きわめて危険なんであります。

今回の「刃物」がなんであるかと言えば、それは「権力」なんでありますが、この「権力」を「バカ」国民が「バカ」どもに与えてしまった。

すべての「災厄」の始まりは、まさにここにあるのであります。

「権力」さえ与えなければ、「キチガイ」も、釣りキチ三平などと言って、人に迷惑をかけない範囲で「キチガイ」として許容される存在でいられたのであります。さすがに本命「バカ」も「脱原発解散」などと言う「キチガイに刃物」を振り回すまでには至ってはいないものの、こちらもきわめて「危険」水域に突入しつつあるのであります。

整理すると、他人を傷つけさえしなければ、「バカ」であろうと「キチガイ」であろうと、この日本と言う自由主義の社会では、その存在は許容されてきたのであります。

しかし、これがそうではなかった。

あらゆるところで、彼らは「権力」を弄び、「国民」を傷つけ始め、これを繰り返し続けているのであります。

「キチガイ」大臣こそ、まさにこの象徴的存在なんであります。

これにいかに対処すればいいかは、もう何度もここに書いてきた。

被災者、避難民が、一斉に「ノーモア民主」の声をあげる以外にはない。

自分たちを、精神的にも、肉体的にも、傷つけ続ける政権への支持率が、いまだ20%前後にあることの「異常さ」、この自覚がないかぎり復旧復興は見果てぬ夢に終わると、KAIは断言せざるをえないのであります。 KAI