もういいかげんこのテーマでこのレポート書くのを止めようと思っているのに、毎日が次から次へと事例満載なんであります。
今日も、1年生の自民党参議院議員が民主政権の政務官になったと言う。
参議院議員だから、まだあと5年の任期があると勘違いしての、自民党離脱であります。
自民党議員として当選した、つまり、自民党支持者の代表、代議員であることをものの見事に忘れてしまうのも、「バカ」の典型なんであります。
この場合の「思考のフレーム」が、「民主党村」にあるのは、これまたいちいちご説明するまでもないのでありますが、なんのことはない俄仕立ての「脱原発村」への風見鶏でもあるのであります。もちろん自民党が「脱原発村」になることが永遠にない=5年後の選挙で勝てない、とのよみでもあるのであります。
この論理は、第一回の実証研究編で取り上げた加藤紘一と見事なまでに一致しているのであります。
これは当の民主党自身にとっても事情は同じ。岡田にしても8月解散総選挙なんてとんでもない、と表面上否定してはいるものの、選挙に勝てるかもと内心まんざらでもないのであります。まず「自民党」村。彼は、この村にあっても震災対応はたいして変わらないと書いている。もちろんこれは、自民党の不信任案の趣旨説明を読めば、まったく異なる立場にあることは一目瞭然であります。にもかかわらず、これを否定するかのようなことを書くのは、すでにこの男が「自民党」村にはいないと言うことであり、「民主党」村、すなわち次の衆議院選挙では、鵜の目鷹の目、情況によっては民主党から出るつもりで準備していることを、明確に示すものであります。
(バカはいかに思考するのか−−実証研究編)
この際、自民党も「脱原発」をうたって、しかし(50年単位の)段階的と言っておけば、バカ「国民」にはわかりゃしないんであります。つまり、争点を「脱原発」にしないで「復旧復興」の一点に絞って、「脱原発」しか言及しない党の無責任を徹底的に追及すればいいのであります。
そしてこの肝心要の「復旧復興」。
五百旗頭(いおきべ)くんの復興構想会議であります。
予想通り、夢も希望もないものに仕上がりましたが、「WHY」も「WHAT」もない、ただあるのが「HOW」だけと言う典型的「霞ヶ関村」の役人の作文でありました。
この「霞ヶ関村」と言う「思考のフレーム」。確かにその内部では一見論理的整合性がとられているように見えても、徹底して「WHY」と「WHAT」が排除されるのであります。もちろんわかってやっていることではありますが、役人の既得権護持と言う「WHY」と「WHAT」なんであります。
古賀茂明くんも、こんな「バカの思考過程」に挑んでも軽くいなされて、はいお仕舞いなんであります。所詮「バカの思考過程」においては、誰も議論と言う土俵に立つことはないのであります。
それにしても、この奇妙な閉塞感。いやなことが起きなければいいのですが、心配の種がつきることはないのであります。 KAI