バカはいかに思考するのか−−実証研究編(3)

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もしこんなことが行われれば、これはもう「バカ」の圧勝に終わるんだろうなと思うと、一挙に目の前が真っ暗になり、目眩がしてきた。

「一点突破、全面展開」とは、菅直人がよく口にする、自身が得意とする行動パターンのことだ。これを今の状況にあてはめ、菅直人になったつもりで今後の行動を勝手に想像すれば、仮に「再生可能エネルギー促進法」が通らない場合は、解散権を行使し、衆議院解散、総選挙に打ってでるのではないか。その場合に実施される総選挙は、「脱原発解散総選挙」とされ、脱原発の是非を問う実質的な国民投票となるだろう。

私は菅直人という政治家については、お遍路姿を公開するよう所が昔から虫が好かず、顔も見たくないくらいだが、仮にそうした状況が到来したら、迷わず菅直人政権を支持する。
菅直人首相が目論む?「脱原発解散総選挙」というウルトラ延命策

なんで日本の「バカ」国民は、こういった一見良識があると思われる方々までを含めて、「バカ」化がこんなにまで進行してしまったのでありましょうか。

日本を代表するような大学の教授からして、「バカ」まるだし、まるで論理思考の体をなさない「散文」を書き散らかすのであります。

 原発は近代技術の極致である。近代技術はどこかで人間の支配の領域を超えてしまう。近代技術をささえるものは専門科学であるが、専門科学は、つねに一定の仮定(想定)のもとで理論的な正解をだしてくる。その想定のもとで技術がつくられる。これは原発にせよ、ロケットにせよ、ITにせよ、遺伝子工学にせよ同じことだ。ところが、じっさいにはたいてい「想定外」のことがおきる。というよりむしろ近代技術そのものが「想定外」を生みだしてしまうのである。

 たとえば、3年ほど前にリーマン・ショックが起きたが、これなどまさしく「金融工学」という独特の技術が生みだしたパニックといっても過言ではない。「金融工学」という「技術」は、ITや統計学や数学の技法を駆使して金融取引のリスクを管理できるとした。それは一定の統計上の想定のもとでは成り立つが、じっさいには、金融工学を使った取引そのものが金融市場を不安定にして「想定外」を生みだしたのである。

 そこでわれわれは一つの逆説に直面する。それは、近代技術はある「想定」をおかねば成立しないのだが、ほかならぬその技術そのものが「想定外」の事態を生みだしてしまう、ということだ。

 今回の原発もその面が強い。発端は予想を超えた巨大津波だが、その後の事態がどう進行するのかは「想定外」になってしまい、管理不能に陥ったのである。

 こういう技術によってわれわれの生活が維持されていることをまずは知っておかねばならない。ITにせよ、遺伝子工学や生命技術にせよ、じっさい、いかなる「想定外」を生みだすかは不明といわねばならない。そして技術が高度化すればするほど、「想定外」が起きるリスクは高まるであろう。われわれはその途方もない危険を受け入れることで、今日の豊かさを作り上げてきた、というほかない。
【日の蔭りの中で】京都大学教授・佐伯啓思 原発事故の意味するもの

いったいぜんたい、原発技術のどこが「近代技術の極致」と言うのでありましょうか、と言う議論はおいておいて、議論と言うものは、議論の「前提」が間違っていると、その議論自体が不成立、出直してきなさい、書生じゃあるまいしなんであります。

 【ウィーン=木村正人】2034年までに寿命を迎える原子力発電所の全廃を決めたスイスの原子力安全当局が福島第1原発事故について「想定外の事態は何一つ起きていない」と日本の安全対策の不備を指摘する報告書をまとめていたことが19日、分かった。原発の安全強化策を協議する国際原子力機関(IAEA)閣僚級会合が20〜24日開かれるが、こうした加盟国の厳しい目が日本側の対応に改めて注がれそうだ。

 スイスの原子力安全当局が事故を分析して5月5日に同国政府に報告した。

 産経新聞が入手した報告書によると、(1)緊急システムに津波防護策が施されていなかった(2)冷却用水源や電源の多様化が図られていなかった(3)使用済み核燃料プールの構造が内外の衝撃に対して無防備で確実な冷却機能もなかった(4)原子炉格納容器のベント(排気)システムが不十分だった−と指摘されている。

 その上で「携帯用ディーゼル発電機やポンプの備えがあれば、もっと短時間で原子炉への注水を再開できた」として少なくとも2号機と3号機の炉心損傷は避けられたと分析。「最初の3日間に3号機と4号機の使用済み核燃料の加熱と放射性物質の放出を防ぐために貯蔵プールに注水できなかった事実はもっと不可解だ」と厳しく批判した。
脱原発のスイス当局が福島事故を厳しく指摘「想定外の事態ではない」
 報告書は「過去500年に福島第1原発の安全基準を超える津波が19回も起きているのに十分な対策を怠ってきたことは日本の安全基準への不信感を醸成している」とも指摘している。

 スイスの国民議会(下院)は今月8日、既存の原子炉5基を順次停止する脱原発議案を可決している。

 一方、日本を現地調査したIAEAの調査団は閣僚級会合で調査報告書を発表するが、IAEA派遣団の一員として2007年の新潟・中越沖地震で自動停止した柏崎刈羽原発の損傷を調査した英ブリストル大のウィリー・アスピナル教授は「IAEAが独自に調査して改善を求めるというより現場を視察して日本側から調査結果の報告を受けただけ。それが日本政府の要請だった」とIAEAの調査能力の限界を指摘する。
(2/2ページ)

佐伯先生、先生の「その後の事態がどう進行するのかは『想定外』になってしまい、管理不能に陥った」と言う記述と、スイス当局の「想定外の事態は何一つ起きていない」と言う指摘は180度反対の内容の論述でありますが、先生の「記述」の根拠をぜひともお聞かせいただきたいのであります。

これこそ、「バカの思考過程」を理解するにあたって、実証研究するにはうってつけの事例となるのであります。

そのためには、「バカ」ではない方の、スイス当局の思考過程を見るのが一番なんであります。

(1)緊急システムに津波防護策が施されていなかった
(2)冷却用水源や電源の多様化が図られていなかった
(3)使用済み核燃料プールの構造が内外の衝撃に対して無防備で確実な冷却機能もなかった
(4)原子炉格納容器のベント(排気)システムが不十分だった

このように、彼らは「想定外の事態は何一つ起きていない」とする根拠を、明確に示しているのであります。

「バカ」ではない「普通」の人間の思考過程とは、つまりはこう言うことなんであります。あらゆる論述にはその根拠となるものを示して初めて、論理思考の体をなすのであります。

論理思考の議論においては、まずはその「根拠」が正しいかどうかの議論から始めるだけでいい。簡単で明快なんであります。

これに対して、「バカの思考過程」では、突然ふってわいたようにまったく関係ないところから「想定外」と言う言葉が飛び出してきて、なぜかまったく理由も不明なまま無根拠にこれが原発事故対応に適用される。

これがすなわち、かの有名な「レトリック」と呼ぶ手法でありまして、実はこれこそが「バカの思考過程」を示す典型的特徴と言えるものなのであります。

いったい「レトリック」とは、どう言うことなのか。

この「レトリック」であることと、「バカの思考過程」との間には、きわめて密接な関係があるのであります。

すなわちそれは、同じ「思考のフレーム」に「所属」することをもって論述が完結する(かのようにみえる)社会においては、その論述の正当性、あるいは、その信憑性は、その論述の中身とはまったくもって無関係に、いかにその「レトリック」が巧みであるかに大きく依存しており、またこの村の住民も「レトリック」でものごとを考えることに慣れ切ってしまって、これ以外の考える力を誰も持ち合わせてはいないのであります。

冒頭のカトラー氏の論理も、一見正当な議論のようでいて、いまのいま困窮を極める被災者切り捨て政権を正当化する解散総選挙に与する、性の悪い「レトリック」と言わざるを得ないのであります。

これを小泉郵政解散などと重ね合わせるなど、とんでもないのであります。

原発避難を強いられいまだ帰還の目途さえつかない福島住民はじめとして、今回の地震の被災者救済をおいて他に、いまのいま、緊急にしてかつ重点的に政治が取り組むべきテーマがいったいぜんたいどこにあると言うのでありましょうか。

万が一にも「脱原発解散総選挙」が挙行されたとしたら、「バカ」国民が「バカ」の圧勝を選ぶことはまず間違いないのでありますが、KAIはこの時、心の底から、国家的犯罪を犯した「バカ」と「国民」を死ぬまで呪い続けるのであります。 KAI