自業自得

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自業自得。

イタリアの、原発再開の是非を問う国民投票の結果を見て、一番にこれを想ったのであります。

もちろん原発推進派の人々のそれですが、この「自業」とは。

それは、原発推進の思いとはうらはらに、実際にやってきたことのことごとくが、反原発を利する結果になったと、つまりはそう言うことなんであります。

これは、今回の東電の対応を見れば一目瞭然であります。

すなわち、反原発の主張のポイントは、「原発怖い」と言う「イデオロギー」であります。これに対して、東電を始めとした推進派がやってきたことは、なにか。なんとこれが、「イデオロギー」には「イデオロギー」、なにを勘違いしたのか「イデオロギー」を「イメージ」ととらえて、「原発怖い」に対抗する「原発安全」、「原発エコ」のキャンペーンに邁進していったのであります。

「イデオロギー」論争が不毛であることは、歴史が証明する真実であります。

共産主義「イデオロギー」を駆逐したのも、資本主義経済の成功と言う「結果」であり、「原発怖い」と言う「イデオロギー」を駆逐するためには、「原発安全」と言う「結果」を示す以外にはなかったのであります。

そう言う意味で、今回の「フクシマ」において、もし女川同様、千年に一度の津波にも耐えたと言う「結果」を出すことができていたとするならば、イタリアの国民投票がまったく正反対の帰結を迎えていたことはまず間違いないのであります。

ここで、このことをもう少し精緻に考察する必要があるのであります。

人はなぜ、自分が望む方向とは違う(まったく反対の)方向に、運命が流れていくのか。

この運命の真理とも言うべき、「宇宙の法則」の謎を解く鍵こそ、「自業自得」なんであります。

運命は何によってきまるのか?

一言でいうと自業自得と教えられます。

とは わたしたちの行い のこと

ですから

自分の運命は自分の行いが生みだしたものですよ
と教えるのが仏教です。


仏教では私たちの行いを、心と口と身体の3方面から教えられます。
これを

身業(しんごう) 口業(くごう) 意業(いごう)・・・あわせて三業(さんごう)といいます。


心で思ったり、考えたりする行い・・

目には見えませんがこれも心の行いです・・意業といいます。

身体でやるいろいろな行い・・走ったり蹴ったり殴ったり、これを身業といいます。

口でしゃべったりする行い・・悪口をいう、ほめる、説明するなど、これを口業といいます。


私たちの行いのすべては三業のどれかにはいるでしょう。

私はこのメルマガを書いている→これは 身業ですね。

皆さんは読んでいる。→音読すれば口業です・・そんな人いないか・・

読みながらいろんなことを思うでしょう。→これは意業といいます。

私たちは心や口、体でいろいろなことを思ったり言ったりやったりします。

この三つの行いの中で一番 重たい行いは何でしょうか?

体の行い? 口の行い? 心の行い?

心の中では何を思っていても 言いさえしなければ やりさえしなければ

誰にもわからないから何を思っていてもいいだろう

という人もいる。

しかし、仏教は全く逆です。

心の行いこそ最も重いと説かれるのです。

殺るよりも
  劣らぬものは
      思う罪

と仏教ではいいます。

口や身体で殺すのも恐ろしい罪ですが

心で殺す罪はもっと恐ろしいのだと教えられます。

では、なぜ、誰にもみえない心の行いが一番重たいと言われるのでしょうか??

次回、お話ししたいと思います。 
 
【編集こーき】

「自分の運命は自分の行いが生みだしたもの」

これが仏教の運命観です。


神がいて私たちの運命を決めたわけでもなく

先祖のたたりで不幸になるわけでもありません。

手相などのよしあしで運命が決まるのでも絶対にない。

と教えられるのが仏教です。

厳しい・・と受け取られる方もあるでしょう・・

でも、苦しみを人のせいにしたり、

先祖や手相のせいにしていては、一時的な気休めになるかもしれませんが

問題は解決しません。

何でこんな結果になったのか、自分の心や口や身体の行いに原因が

なかったか?と自分の行いを見つめていけば、

どんな苦しみも反省と向上のチャンスにできるのではないでしょうか。

仏教を信じることを深信因果といいますが

仏教がわかれば努力向上主義になるんですね。
自業自得とは仏教の教え

あえて全文引用させていただきましたが、もっとも重要なのが、「行為」よりなにより、「思う」と言うことなんであります。

運命とはなぜ「思ったとおり」にはならないのか、実はその答えは簡単なんであります。

それは、実際に「思っている」のは、「思ったとおり」と思っていることとまったくもって異なる(真逆の)ことを思っているからに他ならないからであります。

たとえば、会社を起業して、でも「思ったとおり」にはうまくいかなかったとする。この場合、まず間違いなく「思っている」のは「思ったとおり」のこととはまったく違うことを思っている自分に気づく必要があるのであります。

これが理解できずに「他人のせい」とかたづけてお仕舞いにしてしまう人が、「失敗」し、自分自身の問題と引き受け、地道に続けることができる人が、「成功」するのであります。つまりこれを逆に言えば、「失敗」する人は、これを最初から「失敗」すると「思っている」人が「失敗」すると言うことなんであります。

すなわち、自業自得とは、「失敗」にも働くし、「成功」にも働く、いずれの「結果」にも作用する、そう言うもんなんであります。

ですから、「運命」と言ういずれの「結果」にも、これを自分自身の問題として引き受ける。ものごとはすべてここからスタートするのであります。 KAI