バカはいかに思考するのか−−実証研究編(2)

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震災から3ヶ月が経ってしまった。

言葉にならない苦難を前にして、哭く人々にあふれかえっている。

これがあの「バカ」によってもたらされていることは、まぎれもない「現実」なんであります。誰がやってもたいして変わりがなかったはずと、本人を含めこれを否定する方々がいかなる言辞を弄しようとも、3ヶ月たってもなお、ほんの少しの希望も持てず哭く人々にあふれかえっている現実が、これを明確に証明しているのであります。

このところなんども「バカ」を連発してきましたが、今回の災厄ほど、ほどこしようもないほどバカ「国民」が白日の下にさらされる事態は、かつてなかったのではないかと思うのであります。

いまも、たとえば「節電」ひとつをとっても、国民は「バカ」まるだしであります。

「節電」の声があがって、なぜか街灯が一斉に消えてしまった。

あのー、電力が足りなくなるのは真昼間なんですけど、なんで街灯消して自転車事故や痴漢を増やそうとするのか。まったくもって理解できないのであります。

サマータイム採用も、これまたわけがわからない。電力需要のピークは午後の2時前後。サマータイムでいったいこれのどこが解決になると言うのか、教えていただきたいものであります。

そして、バルセロナまででかけて行って、「バカ」を披露する人まで現れた。

 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。
村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(下)

いったいどこをどう間違えれば、「原発」と「原爆」が一緒になると言うのでしょうか。

いや、たとえ百歩ゆずったとして、「核」エネルギー開発の実用化を、「核」アレルギーを理由に、国家の政策としておこなわないことを選択することが歴史上あり得たか。

それは、米国に真珠湾攻撃さえしかけなければ、原爆投下の悲劇にあうこともなかったと夢想するに等しい、歴史上の空想にすぎません。

 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。
村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(下)

そうです。その通りです。こんな「空想」にうつつをぬかすあいだに、もっと建設的なやるべきことがある。

それが「共有できる物語」としての、過去の「空想」ではない、未来の具体的な「夢」の創造なのであります。

村上春樹的、知識人「バカ」のおおきな特徴として、自らの手で生み出した虚構の村社会を、自身の「思考のフレーム」と錯覚してしまうことにあります。もちろん熱心な読者は、この村社会の住民として疑いもなく、安易な「同調」と言う「バカ」をただ繰り返すだけなのであります。

その結果としての、「反核」、「反効率」と言う「思考のフレーム」。

実は、ここには、何の「夢」の創造もない。

あたかも「原子力発電に代わる有効なエネルギー開発」などといって、原発を放棄した日本だけが開発できるかのように、これまた根拠なき「夢想」をふりかざす。自分では、ほんのひとかけらのなにも創造できないくせに。

「効率」を否定するのも、結構。

しかし、だからといって、「非効率」社会にいまから戻すことが例えできたとして、そんな社会が成り立たないことくらい、考えろよ。そんなこと、バルセロナに飛行機ではなく貨物船にのって往復してから言えばいいのであります。

そうではなく、彼ら、職業的作家たちがまずてがけるべきことは、もっと高次の作業、すなわち、「新しい倫理や規範」=「反原発や反効率」などといった「ふるぼけた」イデオロギー的恒等式を超える、もっと目の覚めるような「非現実的」恒等式の創造とこれを言葉にすることをおいて、本当の意味の(思考する)「作家」にしかできることはないのであります。

そして今日も、「バカ」がくりかえされる。一向に哭く人々が減る気配さえない。嘆息。 KAI