十字架を釘刺す判決と評価

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30日の、卒業式での国歌斉唱時の起立命令を合憲とする最高裁判決は、KAIにとって当然すぎる判決でありますが、これに否定的な反応をする方々には、決定的に「ある視点」が欠如しているのであります。

東京都教育委員会が、今月の卒業式で「君が代」に起立しなかった都立校の教職員180名に戒告などの処分を下した。
起立しなかった嘱託教員は今年度で契約をうち切る方針である。
東京都教育委員会にお聞きしたい。
あなたがたはこのような処分を敢行してまで、「何を」実現しようとされているのか?
愛国心の涵養?
まさかね。
国旗問題再論

このウチダ先生の問いに、KAIがお答えしましょう。

普通に卒業生の人権(日本国憲法第19条思想及び良心の自由は、これを侵してはならない)を守れる環境を実現する、です。

卒業式の主役は、卒業する生徒であって、教職員ではない。卒業式においてまず一番に守られるべき人権は、教職員のそれではなく、卒業生の人権なんであります。

教職員にとっては毎年繰り返される卒業式であるかもしれないけれど、生徒からすれば、人生たった一度の高校の卒業式なんであります。

その卒業式を記念あるものにする権利を、一人の例外もなくすべての卒業生は有している。

にもかかわらずこれを、不良教職員は不起立と言う行為で式を乱し、記念あるものにしたいと言う卒業生の「良心の自由」を著しく侵害するに至っているのであります。

なんでこんな簡単なこと、お気づきになられないんでしょうか、KAIは不思議でしょうがないんであります。なーんて言いながら、実は不思議でもなんでもない。

同様の問題の反応を見れば、これは一目瞭然なんであります。

 橋下徹府知事率いる大阪維新の会は「君が代斉唱時に教員の起立を義務化する条例案」を今月の府議会に提出する。
(中略)
たしかに、教師たちをさらに無気力で従順な「羊の群れ」に変えることはできるだろう。そして、そのような教師を子どもたちが侮り、その指示を無視し、ますます教育崩壊を進行させることはできるだろう。
私にわからないのは、それによって子どもたちは学校教育からいかなる「よきこと」を得るのか、それによって子どもたちの公民意識はどのように向上するのか、ということなのである。
国旗国歌と公民教育

子どもからの視点が、まったくもって狂ってしまっているのであります。

なんで「普通に」起立し国歌を歌う先生を見て、「子どもたちが侮り、その指示を無視」するんでしょうか。

こんな子ども、いるわけない。

おまけにいまどきの教師(特に大阪の^^;)が「無気力で従順な『羊の群れ』」になりはてる、なーんてまったくもって笑止千万。そんな「やわ」なセンセ、特に大阪には、いないって。

要するに、ウチダ先生に代表される、戦後の日教組によるイデオロギー教育の洗礼を受けた世代は、人はなにかしらの「色」に染まっていると言う潜在意識から脱しがたく、人を「プレーン」に見ることができなくなってしまっているのであります。

そりゃ、なんの立場もない人間が、国歌を歌うことと起立することを法律で強制されれば、これはおかしいんじゃないかと思うし、たとえ教師と言う立場でも、職員会議のたびに国歌斉唱なんて話はおかしいのは当たり前。しかし、この職員会議の議論と卒業式の議論が、彼らにとっては一緒こたになってしまう。

なぜか。

卒業生や子どもたちが、存在しないからであります。

いや、存在はするけれども、同じ「色」をしていると、とんでもない勘違いを始めるのであります。

我が子3人、これに悩まされ続けてきたのであります。

娘は、都立高校で南京虐殺の教育を受け、反吐が出ると言って帰ってきたし、息子は考え方が違う(親の教育がおかしい)と小学生から女教師のいじめにあう。ほんと、こいつら、狂ってるとしか言いようがないけれど、子どもたちからすれば反論しようがないし、反論しようものなら息子2人のように教師の陰湿ないじめにあうのであります。

今回の最高裁判決は、こんなうすらきたない連中の胸に、十字架を釘刺す、まことにもって時宜を得た判決であったと申し上げるのであります。 KAI