ビンラーディンが殺害された。これもまた、このところ一連の踊る大気の流れの中の、単なるひとつの出来事にすぎない。
この「テロとの戦い」を、ブッシュの主体的な「意志」に始まり、これに「アメリカの軍産複合体」の積極的「意志」が加担し、オバマの「意志」によって、ビンラーディン殺害と言うひとつの重要な帰結を得た、確かにこう考えるのは何の不思議でもなんでもない。オサマ・ビンラディンが殺されたらしい。アメリカ大統領が個人の殺害を発表するのも異例だが、あらためて考えると、10年も続いた「テロとの戦い」とは何だったのか、疑問をもたざるをえない。
(中略)
しかしアメリカの軍産複合体にとっては、これは大勝利だろう。冷戦後、減らされてきた軍事予算がこれで増額され、ソ連に代わる新たな敵を作り出すことで、ブッシュ政権は圧倒的な支持を得たからだ。政治家やメディアにとっては、テロはおいしいビジネスだ。彼らにとって重要なのは国民のバイアスに迎合して票や読者を獲得することであり、そのためには大事な問題より目立つ問題に全力を投入することが合理的なのだ。
(「テロとの戦い」とは何だったのか)
一方でまた、これをもっと大きな歴史の流れから見ると、別の見方が見えてくる。
こちらの世界にもまた、「ファツー」と言う「意志」が強く働いているように見えてくるのであります。◆詳しくは、拙著「ブッシュの陰謀−対テロ戦争・知られざるシナリオ」(KKベストセラーズ刊、2002年2月5日)を参照していただきたいが、1979年12月27日、ソ連軍がアフガニスタンに突如侵攻して軍事占領したのに対して、米国が、アラブ諸国から青年義勇兵を募集した。青年義勇兵のなかに、サウジアラビア王国の富豪の子弟オサマ・ビンラディンが含まれており、当時のジョージ・ウォーカー・ブッシュCIA長官(後の米大統領、パパ・ブッシュ)の下で、訓練を受けて、ソ連軍と戦った。10年にも及ぶアフガニスタン戦争の結果、敗れたソ連軍は1989年2月15日、撤退を完了した。
この10年の間に、隣国パキスタンに逃れたアフガニスタン国民の子どもたちが、神学校でイスラム教学を学び、パキスタンの支援を受けてアフガニスタン救済運動に立ち上がった。これが「タリバン」(本拠地・南部の都市カンダハル=世界最大規模の芥子の栽培地帯→資金源)である。10年にわたる内戦を経て、アフガニスタン国土の3分の2を実効支配するに至る。
一方、祖国に舞い戻ったオサマ・ビンラディンは、貧富の差が激しいサウジアラビア王国内の矛盾、不条理に気づき、「反政府運動」、すなわち、「サウジアラビア王室打倒」に立ち上がった。同時に「反米姿勢」を強めた。とくに湾岸戦争の際、ブッシュ大統領指揮下の米軍がサウジアラビア王国内の軍事基地(サウジアラビア王国によるイスラエル攻撃を抑制目的)からフセイン大統領のイラクをしたことに強く抗議した。
米クリントン大統領時代、ニューヨーク世界貿易センタービル爆破テロ事件やオクラホマシティ連邦政府ビル爆破テロ事件が発生、オサマ・ビンラディンが首謀者とみなされた。こうしたことに危険を感じたサウジアラビア王国政府は、オサマ・ビンラディンをスーダンに追放。だが、国連の圧力でスーダンから国外退去を命じられたオサマ・ビンラディンは、アフガニスタンに舞い戻り、タリバンと接触した。
ここでタリバンの立場が一変した。それまでタリバンを承認していた米国が態度を変えたのである。人権派のオルブライト国務長官が、「石油のために女性と子どもを犠牲にするな」と言いがかりをつけ、タリバン不承認に転じた。タリバンがイスラーム原理主義に基づき、「女性を差別し、子どもを犠牲にする」教育を推し進めていたことを捉えたのであった。
◆米国との対決姿勢を強めるオサマ・ビンラディンは1998年2月、「ユダヤ人と十字軍に対する聖戦のための国際イスラム戦線」を結成、対米戦線の宗教命令「ファツー」を発令した。その3年後の2001年9月11日、ニューヨーク世界貿易センタービル、ペンタゴン同時多発テロ事件が起きたのであった。
オサマ・ビンラディンは殺害された。だが、対米戦線の宗教命令「ファツー」(ユダヤ人、キリスト教信者を皆殺しにせよ)が、解除されたという情報は、未だ聞いたことがないので、イスラム世界各地で蠢いている「アルカイダ」のなかで、この宗教命令「ファツー」は依然として、生き続けていると見なくてはならない。アルカイダによる「報復目的」の爆弾テロは、世界各地で頻発する可能性が大である。用心しなくてはならない。
(米海軍はオサマ・ビンラディン殺害に成功したが、対米戦線の宗教命令「ファツー」はだれが解除するのか?)
果たして、世界はこれらの「意志」で動いているのか。KAIは、これをまったく逆に考えるのであります。すなわち、世界の流れこそ、個々の「意志」を生み、個々の「意志」とは、世界の流れと言う「大気の流れ」の産物にすぎないのであると。
こう考えると、私たちの社会にとって、今回のようなビンラーディン殺害に至る「政治の力」とは一体なんであるのか、これが明確に理解ができるのであります。
つまりは、「政治の力」とは、それは「大気の力」の反映そのものであると言うこと。
彼の地に比して、日本の政治はなぜこれほどまでにじれったいのか。その理由も、これで容易に説明が付く。
所詮、日本の政治家に、「生きたメッセージ」も「行動」も、期待すること自体が無意味なこと。それは、自分のことばかりを考える政治家とは、それが日本の国民そのもの自体の姿であり、日本の「政治の力」はすなわち日本と言う「地」を覆う「大気の力」そのもの。エコノミスト誌の、日本の政治家は驚くほど自分のことばかり考えているという記事が紹介されています。国会中継を見ても、そこには菅総理追い落としの姿勢、権力闘争の姿しか無く、現場に任せればよいような細かな問題をとりあげ質問して得意げになっている国会議員の姿にも呆れる限りです。この危機のなかでも、権力闘争から抜け出せない体質が、海外から見ても不思議なのでしょう。しかし、これは自公だけの問題ではなく、民主党が政権を取るためにやってきたことでした。
(中略)
菅総理のリーダーシップに問題があるのなら、菅総理に欠けている復興のビジョン、日本再生のビジョンを堂々と語り、この人がリーダーになってくれたらいいねと感じさせればいいのですが、自公の人たちが「俺達が政権時代はもっときちんとやっていた」というのは誰も信用していません。あの程度のねじれで政権を投げ出した安倍さんや福田さんがこの危機で死を賭してまでリーダーとしてやれたのかという疑問がふっとでてきてしまいます。どの党も信頼の資産を持っているわけではなく、この復旧・復興への道は、政治家が信頼を勝ち取るコンテストの舞台なのだという認識にたって、政治家の皆さまには、ぜひどんどん生きたメッセージを発信し、行動していただきたいものです。
(自分のことだけを考えている政治家は信頼されない)
これが石破茂をして語らせると、こうなる。
やれやれ、彼の立場からすればこう見えるのも致し方ない。しかし、これは決して「消極的支持」でもなんでもないのであります。補正予算の成立により、菅内閣は「一息ついた」という形になります。
実に不愉快なことですが、一方において世論調査では「菅内閣即時退陣」を求める声は二割程度しかなく、「年内一杯まで続けるべき」とするのが二割強、「来年九月の民主党代表任期満了まで続けるべき」という意見が三割もあるのです。
民主党内で「ポスト菅」の有力候補が見当たらないことが、「他に適当な人がいない」との消極的支持理由になっており、自民党の支持率は確かに民主党より10ポイント程度高いのですが、解散が当面行なわれない状況では如何ともしがたく、ただ閉塞感のみが漂います。民主党の政策に自民党の考えを極力反映させるしか当面の手はありません。
多くの方はご不満でしょうし、そのことは十分に承知していますが、今この作業を地道にこなすことなく、ただ徒に政局に走ることは決して良い結果をもたらさないのだと自分に言い聞かせる他はありません。とにかく少し疲れました。
(一次補正可決)
四方八方海に囲まれ、この恵まれた国土と言う「地」にあっては、地震、津波、原発災害と空前絶後の国家的危機に瀕してもなお、まず守るべきは「国土」ではなく自らの「利益」すなわち「我欲」のみ。この「大気の流れ」への反動こそ、戦うべき格好の敵と化す、奇妙な国家、ニッポン。
役人の不法行為による年金不正問題と、ウソの格差社会論で大きく振れた振り子の反動で、たまたま誕生した民主党政権でさえ、自分たちの「利益」を守るため自民党の「電力族」と結託して「積極的」に支えようとする。
こういった分野における、わがニッポンの「政治の力」とは、決して欧米に見劣りするものではなく、たぐいまれなるチカラを発揮しているのだと考えるのが、本来の本質をついた正しい見方なのであります。(ホントか?) KAI