「知」のシンクロニシティ

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復興税に賛成が6割近くもあると言う。ほんと、バカ国民ばかりになったもんだ。ただただ、あきれるばかりであります。

そう言えば、増えすぎたネズミがつぎつぎと海へ飛び込んでいく童話がありましたが、こうしてバカばかりが増えすぎて復興税賛成者が海に飛び込むように彼らの資産がインフレ消滅していっていただくのは、おおいに歓迎であります。

おまけに、自分たちの給料、年金を減らさずして、電気料金を1円でも上げてみろ。連方含めておまえたちは間違いなく地獄に落ちるでありましょう。

おっと今回は、そんな話ではありません。

今回のテーマは、「知」。この飢える「知」、であります。

なぜかこのところ、血(知)に飢えるドラキュラの気持ちが、よくわかるのであります。

あまり人のことは言えないけれど、ネットで読む文章には、明らかに2種類あって、このところこれがますます顕著になってきたことを感じるのであります。

つまり、1行読めば、これがあと読むべきものか否かってことであります。いえ、内容までもいかなくて、タイトルだけで読みたいかどうかが瞬時に分かる。

この理路をご説明する前に、これと関係する話が、これ。

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なぜかこれもシンクロニシティ、私たちも24時間365日「電話で相談」ってサービス、始めたばかりなんです。もちろん、私たちのサービスを利用されているユーザー向けにはずっと昔からやっているんですけども、今回は私たちのホームページにお見えになるすべてのお客さまにこれを開放したんであります。

このお話のポイントは、もちろん「声」のサービスがどうのこうのと言うお話ではなく、「使い方」ボタンのような「知りたい」ことへの「ショートカット」なんであります。

いまや私たちは、インターネット社会になって、「調べる」と言うことを当たり前のように要求され、またこれに私たちも慣(らさ)れてしまっているのであります。

これに対して、もちろんグーグルの検索エンジンがあるのですが、いまひとつ思った文章や説明にたどりつけないことが多々あるのであります。単なる用語の説明などは、昔に較べれば格段に便利にはなった。便利にはなったけれど、これはあくまでpull型。

これって、ATOKに較べて、いつになっても進化しないIMEの日本語変換のもどかしさに似ているし、おおむかしに指摘したことのあるはてなの問題にも似ていて、まだまだ「知能」が足りないんであります。

どうもこう言った方々の、人間の「知能」への理解が、根本的なところで大きく違っているのではないかと思うのであります。

このもう少し分かりやすい例をあげてみましょう。

ほとんどのブログには、「カテゴリー」機能があって、ひとつひとつのエントリーがどのカテゴリーの記事であるか示せるようになっているのであります。このKAI_REPORTは、もちろんこんな「チープ」な機能は使わないのですが、同様にこれに気づいたかどうかは別にして、この使い方を変えたのがアゴラ

昔のアゴラの記事を見ればわかるけれど、このカテゴリーは、「政治」、「経済」、「科学・文化」といった、いわば新聞の記事分類と一緒。これが今は、「OPINION」と一括りされ、あと「投稿募集」、「ゲストブロガー」、「良書悪書」、「投稿」、「使える経済書」、「アゴラブックス」とある。明らかに、「カテゴリー」を「記事」の「内容」の分類としてではなく、機能の一部である「目的」として使っているだけなんであります。

おそらく誰も、「政治」、「経済」、「科学・文化」と言うカテゴリーで検索して記事を読んでいた人はいないと、KAIは想像するのでありますが、おおかたの方々のブログの「カテゴリー」もまた同様なんであります。

こういった例をあげはじめると切りがないんでありますが、要するに「知能」とは、単純に「カテゴリー」で分類できるような「線形」ではなく、もう少し別の次元で理解する必要のある、そう言う種類のものであると言うことであります。

この理解をもう少し深めるための事例が、これ。

 菅直人首相は21日午後1時前、福島県田村市の避難所である総合体育館を出た。「もう帰るんですか」「無視していくんですか」。首相に向かって同県葛尾村から避難している夫婦が呼び止めた。

 首相は「ごめんなさい。そういうつもりはありませんでした」と謝った。

 呼び止めた夫婦は「生後4カ月の孫を抱えている。この子たちは、これからなんです。先の見えない不安を抱えながらながらやっているんです」と泣きながら訴えた。首相は「子供たちのためにも全力を尽くしてやっている」と答えた。
避難夫婦、首相に「無視していくのか」 首相「ごめんなさい」

この記事にある問題は、明らかであります。

「子供たちのためにも全力を尽くしてやっている」

夫婦の問いに答えたつもりでも、答えにもなにもなってはいない。これが理解できないのは、「知能」の欠如、すなわち「無知」、「無能」の証明。

夫婦が「知りたい」ことは、「これから」のこと。「子供たちのためにも全力を尽くしてやります」と言えばいいだけなのに、そうではなく、この無能者が答えたのは、「やっている」と言う「これまで」の言い訳。

さて、これだけまるでそれぞれ無関係に思えるお話を並び立て、いったい何を言わんとしたいのか。

それはすなわち、「知」。「読みたい」、「知りたい」、「訊きたい」と思う「知」は、いますでにあることの「知」ではない。「これから」の「知」であり、自分にとっての「未知」の「知」。

そして、これが「未知」ではあるけれども、この文章を読めばとか、このボタンを押せば、分かる気がする、これをすなわち「予知」の「知」と言うのであります。

いままでさんざん「予知能力」について、ここで言及してきましたが、「知」そのものにおいてもこの「予知能力」は、そのまま有効なんであります。

順にご説明しましょう。

まずネット上の文章について。この文章を読めば読みたい文章かどうか、読む前から瞬時に分かると言うのが、「予知」の「知」。なんでこんなことがあるのかと言えば、自分自身がこの文章と同じ時間軸上に立つことによって、これから起きることがそのまま見ることができるのであります。すると、悲惨な姿が見える文章もあれば、興奮を禁じえない文章もある。そう言うことなんであります。

「使い方」ボタンや、「電話で相談」。これもまたこれだけでは、まったくもって判断できない。にもかかわらず、ボタンを押し電話するのは、電話するその前からすでに、電話で解決し満足する自分自身が見えているからに他ならないのであります。

ATOKで思った単語を入力して、ことごとくに思い通りの漢字が出てくる、日本語変換もまた、「予知」と言う形で自分自身の力がこれから起きることを遠隔操作した結果に過ぎない。

これが、IME変換も、カテゴリーやキーワード検索も、まるでそうはならない。

同様にまた、あいかわらず、はてなに進化は見られない。言葉が同じだけでリンクさせるのではなく、ここになんらかのルールを導入しさえすれば、見違えるような「知」のネットワークを構築できると言うのに、なぜかここで思考停止する。まるでトラウマのように、であります。(解決のヒントは、思想は言葉ではなく用法と言う機能にあることを学べばいいだけ)

そして、無能者の、共感できないコミュニケーション。

これもまた、人が希望を持てるのは、明日への可能性を見出すことができるから。すなわち、人が人に言葉を発し、人が人に言葉で答えるのは、それは一見儀礼的のようでいて、実はそうではなく、そのプロセスこそが私たちにとって、唯一のリアリティをそこに感じることができるからなんであります。

同じ被災地の見舞いでも、天皇皇后両陛下のそれが違うのも、ここにこの悠久の時間の流れを見ることができるから。

そう言えば、この間実家への1200キロドライブ、いつになく愛車のエルグランドの足回りがゆるい気がした。

もう10年13万キロだから致し方ないと思いながら、定期点検とタイヤの履き替えに日産のサービスに持ち込んだら、スタッドレスの空気圧が低かったからとわかって、納得。

人とマシンとの間にある、ほんのわずかな感覚。10年と言う時間軸の中の「知」と一致した瞬間であります。 KAI