愛犬たちが教えてくれることと週末テニス

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土曜テニスの駐車場に、1台の車が入ってきた。なかから犬の太い鳴き声がする。

車から出てきたのは、ゴールデン。

リキの顔が、フラッシュバックするほど似ているんであります。

胸が痛くなった。

テレビでは、17日ぶりに飼い主と再会を果たした犬の映像が流れている。なんと飼い主の右大腿部を抱きかかえるようにして、離そうとしない。一緒に、漂流していた犬が海上保安官の手で救助された映像も流れている。

これをみて、また胸が痛くなった。

守るべき家族としての犬たちが、ここにいる。

この、誰がみても当たり前に胸に来る光景が、3.11前の私たちは、すっかり忘れ去っていたのであります。

放射能のために、酪農家が何十頭の乳牛たちの頭をなでながら悲嘆に暮れる映像も、何回となく流れるけれど、この牛たちの瞳は、あまりにも切ない。

みんな、家族なんであります。

なんで、東電の経営者や政治家たちには、この感情と言うものがないのか。

その理由は、簡単なんであります。彼らは、人の顔をした、「鬼」だったんであります。

「鬼畜」であります。

いま一生懸命、政治家たちは、自分はそうじゃないんだと、鬼畜と一線を引こうとしてはいるけれど、もちろんこれに騙される人はいるけれど、どうあがいたところで、神がこれを見逃すことはないのであります。

ですから、東電の経営者や政治家どもは、もうどうでもよろしい。神にまかせて、私たちはもっと前向きなことに目を向ける必要があるのであります。

そのキーワードが、「家族」。

天皇皇后両陛下の姿勢こそ、「家族」の基本であります。

日本国家と言う「家」と言えば、毛嫌いする方々には、この「家族」は受け入れがたいものがあるやもしれませんが、これも「鬼畜」との境目であります。

「家族」を、別な言葉で言えば、「慈愛」であります。

「忍耐であり、寛容であり、慈愛」であります。

この「家族」であり、「慈愛」を基本とした、政治あるいは経営を取り戻すこと。

これが、いまもっとも喫緊にして火急の課題なんであります。

具体的には、例えば、電力エネルギー問題。

早急に、全国レベルの電力供給ネットワークの構築をスタートさせることです。要は1千万キロワットレベルのヘルツコンバーターを半年間で構築する。ヘルツコンバーターの部品など、市販製品で十分まかなえるんであります。

今年の夏場は間に合わないかもしれないけれど、一年を通した需給を地域ではなく全国レベルで調整可能になり、これから何十年に亘っても東電の不足分は他のすべての電力会社の供給で補うことは、それほど難しい話ではなくなるのであります。

で、これのどこが、「家族」であり「慈愛」なのかと。

それは、電力を家族と考えれば、家族の間で与え合い分かち合うのは、当たり前なんであります。

そして、孫正義。

彼こそ、いま国難に直面する日本の救世主と言っても、はばかれることはないとKAIは、声を大にして申し上げたいのであります。

金額の多寡は、まるで関係ない。

自分の金は、家族のお金。そう考えることができる経営者以外は、みな「鬼畜」の経営者なんであります。

ぜひとも、あの愛犬たちの瞳を、今一度凝視してほしい。

けっして文句のひとつ言わない愛犬たちへの、いまあなたが感じる気持ちこそ、いま日本を救うことのできる唯一の答えであると、KAIは切実に思うのであります。 KAI

おっといけない、またまた忘れるとこでしたの週末テニス。土曜、6-1、2-6、2-6、1-4。日曜、2-6、6-4、6-2、3-5。M田さんが、通信回線の復旧で4月、5月全休の予定が痛いけれど已むを得ないんであります。