買い溜めの心理と負のネットワーク効果

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それは1973年10月のことだった。

KAIがまだ大学生で、中古の車にのっていたころのこと。突然ガソリンが、いままで37円くらいだったのが70円くらいにはねあがった。と同時に、スーパーからトイレットペーパーが忽然と消えたのであります。

もちろん共同トイレのアパート暮らしのKAIにとって、関係のない話と、遠目でこの光景をながめるだけのことであったのであります。

38年たって、まさか同じ光景に会おうとは。

タイミングの悪いことに、自宅だけでなくオフィスの備えも丁度切れかかったとこだった。

おまけに、毎朝最低3パックは食べる納豆も、先週水曜に買った1週間分がそろそろ底をつく。玉子も同じ。

これらすべてが、ものの見事にスーパーの棚から消えうせてしまったのであります。

トイレットペーパーは、いざとなればたまたま買い溜めしてあったティッシュの箱があるからなんとかなるけれど、納豆と玉子を切らすことは、30年間の毎日朝食は納豆玉子ごはんに焼き魚が定番のKAIにとってあり得ないことであるのであります。

いざ、行動開始。木曜早朝の散歩。ウェストバッグに財布を入れ出かける。途中にあるスーパーが確か朝早くから開けているはず。行くと開店準備中で、7時からとある。一旦散歩を終え出直すことにして、朝ごはんを済ませてから7時前にドアの前に並ぶ。と言ってもKAI一人。直前に自転車でおばさんが一人。ドアが開いて急いで納豆の棚へ行くも、空。

ため息をついて、玉子売り場へ。

ありました。10個入りのパックが大量に。5パックゲット。もちろん一人分ではありませんので、念のため。とりあえず玉子だけでも2週間分確保できたから、一安心。

そして翌日。朝6時、すでに仕事のかっこうで出勤。目的はオフィスの近くにあるコンビニ3店。まず1店目。納豆がなければ、昨日の昼間チェックした時にあっためかぶのパックを、と思いきやこれもなくなっていた。

2店目、なし。

3店目、なんとめかぶのパックが大量にあるではありませんか。もずくのパックとこれだけがなぜか売れ残っている。

納豆がなくても、このねばねばコンビで代替がきくとおもって、10パックゲット。

7時前になって昨日のスーパーへ。

なんと店先に大量のトイレットペーパーが積んである。思わず4つかかえてレジに行くと、お一人1個までです、すいません、と言って2つだけ戻して、そのままにして納豆売り場へ。ありました、いつものおいしい納豆が。こちら2週間分をカゴに入れレジへ。

残したトイレットペーパー2個とも、レジのおじさんがつけてくれて、感激。

かくして、行動開始二日目にして目標達成。

次なる問題は、ガソリン。半分以上残っていたのが、昼間高速を飛ばして遠出したため、週末にはなくなりそう。

週末テニスの帰りに毎週入れるガソリンスタンドに電話して、様子を聞く。

並んでますか?いえ、並んでもらっても困ります。え?品切れですか?昼間にはローリーが来ると思いますが何時になるかわかりません。

はてさて、この週末はどうなることやら。

と言うわけで、買い溜めであります。

世間は、被災者のために買占めは自粛しましょうなどと言うけれど、こちとら、買占めする気などさらさらない。

単に買い溜めしないと生活できないだけ。今回やったことを整理すると、毎週1週間分買っている食品が、突然消えてしまった。買い置きしてあった残りがなくなったので、調達に走る。見つけて、1週間分ではなく、2週間分買う(つぎまで2週間の猶予をもたせたい)。

それにしてもであります。

なんで、こうなってしまうのか。

なんとなく渋滞現象と似てなくもないが、なにか違う気がする。

しばらく考えて、わかった。

負のネットワーク効果であります。

ネットワーク効果とは何か。これはネットワークに参加者が増えれば増えるほど、ネットワークの利便性が良くなることを言うのであります。これが、「負」と言うのは、参加者が増えれば増えるほど利便性が悪くなることを意味するのでありますが、にもかかわらずなぜこのネットワークへの参加者が増えるのか。

それは、ネットワークと言う「経済」において、「資源」が制限されるからであります。

KAIのように買い溜めすると、あと2週間は買いに走る必要がないわけですから、初期の需要さえまかなうことができれば、基本的に誰も買い溜めする必要がなくなるはず。

にもかかわらず、新たな参加者が次から次へと買い溜めに走るのは、お一人様1個であるとか、給油1回10リッター制限だとか、あるいは出荷自体を押さえるだとか、必要を満たされない参加者が増え続けるからであります。

もちろん、たとえば被災地優先のために供給が遅れると言うのは、致し方ない。そうではない、恣意的な供給制限が、結果的に負のスパイラルを生んでいることに気づく必要があるのであります。

確かに、メーカーの経営側から考えれば、一時的に売れすぎて、あと急激なダウンを避けたい気持ちも分からないわけではない。しかしあんな大きなトイレットペーパーを普段買う以上には持ち帰れないし、食品には賞味期限があるのであります。

一方、被災地と違って普通の生活ができるところは我慢すべきだと、モラルに訴える意見もある。

まったくわかっていないのであります。

福島原発30キロ圏内の住民のことを、誰も想像できていないのであります。

外出を控えるとは、一歩も家を出れないのであります。

いつまで?

この方々の食料はどうなってるの?

誰もこれに答えられない。まったくもって、無責任の極みであります。

いざ、東京もとなったときに、誰も責任は取らないとすれば、自己防衛しかない。

単純な理由であります。

東京まで心配はいらない、過剰反応だと言う方々もいる。

でも、この方々は、今回、この「想定外」の出来事がおきたことを無視しているのであります。

「想定外」には「想定外」の対応は、当たり前。今回の震災の一番の教訓であります。 KAI