薬と言うものを、KAIはほんと、のまないのであります。
唯一例外が、三光丸(Wikipedia)。
漢方であります。
まったく原因不明ではありますが、定期的に腹痛になり、この三光丸で瞬く間に治る。これを子どものころから何十年も繰り返してきたのであります。
ところがなぜか、いつのまにかこれを必要としなくなった。つまり、腹痛が消えてしまったのであります。
なんでこんなお話をするかと言えば、この記事を読んだからであります。
そもそも漢方とは、なんであるのか。主治医から最初に処方されたのは西洋薬。症状がかえって悪化したため、次に処方したのが漢方薬の「抑肝散(よくかんさん)」。漢方なんて…。最初は半信半疑だった。しかし、1カ月後には幻覚などの症状はうそのように治まった。「抑肝散には感謝してもしきれない」という。
(中略)
抑肝散以外でも、外科手術の後に腸の働きを改善する「大建中湯(だいけんちゅうとう)」、がんの症状を緩和する「牛車腎気丸(ごしゃじんきがん)」、インフルエンザの症状を抑える「麻黄湯(まおうとう)」なども、医療現場で活躍する場面が増えている。民間調査会社「IMS」によると、漢方薬の国内市場は10年で1・3倍に成長。厚生労働省も昨年2月、漢方薬などの有効性を検証するプロジェクトチームを設置、検討を進めている。
(第5部 飛躍 明日への処方箋(5)科学の力で見直される漢方)認知症で失われた記憶を、漢方薬で回復させる研究も進められている。認知症は進行を遅らせる薬はあるが、記憶を回復させる薬はない。
研究をしているのは富山大の東田千尋准教授(神経薬理学)。注目したのは「加味帰脾湯(かみきひとう)」という漢方薬。不眠症などに使われるが、古い文献に健忘症への効果が期待できる内容が書かれていた。
((2/3ページ))
これを読めば、先の新聞記事で取り上げられている漢方が、「西洋薬」的漢方であることが、よくわかる。つまり、その患者の身体全体から見るのではなく、あくまで「症状」中心のアプローチであります。漢方医学の特徴は、伝統中国医学と同様に体全体をみるところにあり、「証」という概念を持っている。証は主に体質をあらわす。この点で西洋医学とは大きく異なる。体全体の調子を整えることで結果的に病気を治していく。このため、症状だけを見るのでなく体質を診断し、重んじる。西洋医学が解剖学的見地に立脚し、臓器や組織に病気の原因を求めるのとは対照的である。よって、漢方薬も「証」にもとづき患者一人ひとりの体質を見ながら調合される。
また、「漢方薬=生薬」という解釈をしている人も多いが、上記からわかるように、これは誤解である。 日常的に、「漢方薬ではない生薬」の例は非常に多い。ゲンノショウコなりセンブリなりドクダミなりを煎じて、症状の詳細も体質も考慮せずにただ飲むだけであれば、それを漢方と呼ぶことは決してできない。
(漢方、Wikipedia)
別にこれが悪いと申し上げているのではないのでありますが、あくまで漢方が効くのは、「身体全体→症状」の方向であることの理解が不可欠であると言うことであります。
すなわち、問題解決の方向性の問題であります。
ではなく、部分→全体
と言うことであります。全体→部分
私たちの生命と言うものが、「大気」の流れの中にあって、その「気分」を生きていると考えれば、これはまったくもって当然のことなのであります。
私たちの「身体」より「大気」は、より大きな一つの流れであるからして、「身体」全体の気の流れを変えるには、「身体」自体を「大気」の流れの中でその位置を移動させる必要があるのであります。
これが三光丸によってではなく自らの力でできたからこそ、いつの間にかKAIの身体から「腹痛」が消えてしまった。そう言うことなんであります。
なんだか、今の流れの中で、問題解決の方向性を示唆するヒントになるのではないかと、ここに書きとめておくのであります。 KAI