なぜかこの文章がずっと気になっていたのでありますが、いまになってそのわけが、やっとわかった。
1撃目の雷鳴。まるでその意味がわかってはいなかった。わかってはいなかったけれど、それは間違いなく「自分宛てのメッセージ」であったのであります。この力動的な言語習得のプロセスを駆動した「最初の一撃」は「この波動は私に向けられている」という受信者の側の絶対的な確信である。
主の言葉が預言者に臨むときの構造とこれは同一である。
アブラムに主の言葉が臨んだ時、アブラムは主が何を言っているのか、ぜんぜんわからなかった。
おそらくそれは雷鳴や地鳴や暴風に類する「非分節的・無文脈的」な空気の波動として到来したはずである。
そのようにしか聴こえなかったはずである。
けれども、アブラムはそれを「自分宛てのメッセージ」だと聴いた。そして、その「雷鳴」を「人間の言葉」として解釈できるまで霊的に成熟することを自らに課した。
その瞬間に、アブラムはアブラハムになり、一神教信仰の歴史が始まった。
(アブラハムと顔の経験)
であるにもかかわらず、いままでと同じことを繰り返そうとしていた。
そして、いま2撃目の雷鳴を聴いた。
やっと、「主」の言葉の意味がわかった気がする。
もちろんなにをしなければいけないかも、明確にわかった。
これをここに書くわけにはいかないのでありますが、なんとこのところの一連の正統性シンクロニシティも、すべてこれに繋がっていたのであります。
同様にまた、週末テニスにも繋がって、突然風が吹き出した。
ずっと前からお誘いしていたPさん。やっと参加できるようになったとメールをいただく。
土曜、そのPさんが初めて参加。結果は、1-6、3-6、6-1、3-4とO谷さんの4連勝。訊けばPさん、香港生まれのポルトガル人で大学はアメリカと、スーパーインターナショナル。思わぬところから道が開けそうで、ますます楽しみであります。
日曜、昨日に引き続き曇り空。この曇天が、くせものでありました。風もなく、日差しもない、「絶好」のテニス日和と思いきや、ゲームにいまひとつのれない。結果も、3-6、0-6、2-6、5-4と、最後になって、不調の原因がわかってやっと最終セットで1勝。なんと「鳥目」だったのであります。
曇天でもふつうに曇り空ならそうはならない。今日は、しかし、「刮目」する必要があるんだと、やっと気づいたんであります。
これもまた、漫然と眺めているKAIへの「主」の戒めであったのであります。 KAI