ツィッターシンクロニシティ

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さすが新しいメディアは、勢いが違う。まさに、桃が海老を跳ね飛ばす、であります。

何度も顔は見たことがある、この女優の名が大桃美代子とは、おおももと読むのも含めて、初めて知ったのでありますが、彼女のたった一言の「つぶやき」が、一夜にして海老蔵を巷の話題から一掃してしまった。

それにしても、新しいメディアだからこの付き合い方が分かってないのかもしれないけれど、よくこんな私的な話題を公共の場に曝すことができるもんだと、KAIは不思議で仕方がないんであります。

時を同じくしてこの人も。

母がもっとも知りたいのは、息子の対外的な活動よりむしろ、ちゃんと食べているのか、ちゃんと寝ているのかといった身体にかかわる情報だからである。
でも、私の最近のブログ日記にはそういう身体情報はもうほとんど書かれていない(そこには「演説」しか書かないことになってしまった)。
疲れたとか腹減ったとか眠いとかいう私の身体の実況情報はすべてツイッターに流れ込んでしまったからである。
ツイッターはインターネットが発明されて以来、「もっとも身体的な」メディアである。
それが投稿者の「身体的近さ」を実感させる。
名越先生とお会いするのは久しぶりなのだが、私は名越先生が昨日どこにいて何を食べて、どんな仕事をして、何時間くらい寝て、どれくらい疲れているのかについて、私と会う前にどこにいて、どんな交通手段でこちらに向かっているのかまで、会うに先立って、リアルタイムの情報を手にしている。
もちろん名越先生は私についても同じことを知っている。
だから、会ったときに感じる「近さ」がこれまでとは全然違う。
「それでさ」という感じで話が始まる。
会うのが半年ぶりでも、「さっきの話の続き」なのである。
こういうことはこれまでなかった。
どんなメディアもここまでリアルな身体実感を伝播することはなかった。
テクノロジーと常識について

確かに、「もっとも身体的な」メディアであることには、間違いがない。このことはKAI自身が何度も言及してきたことでもあります。

逆進する技術、逆行する身体
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それにしてもであります。知人同士だけが繋がっているメディアならまだしも、見ず知らずの赤の他人にまで、なにゆえに自らの身体的情報を「実況中継」し、晒すことができるのか、その感覚がまったくもってKAIには理解不能ではあるけれど、すでに何度も考察してきたとおり、大桃美代子やウチダ先生が晒しているのは、第3の自己、量子化した身体なんであります。

これは、簡単に言ってしまえば、ツィッター向けの今までとはまったく違う、自ら新たに創造した生身の「顔」、「ペルソナ」なんであります。

ですから、女優としてシナリオのあるペルソナを演じることに慣れている大桃は、自分自身の実体験と言うシナリオのペルソナを演じるし、もともとシナリオのないアドリブの世界で生きるウチダ先生にとって、ツィッターはこのアドリブと言うペルソナを表現できる恰好のメディアとなったのであります。

一方で、KAIのような、匿名のペルソナを持つことさえ気持ち悪いと思う人間にとっては、他人のペルソナなどすべてが雑音以外の何者でもないのであります。

要するに、ツィッターとは、人を選ぶメディアであるってことであります。大桃がこれを理解していたかどうかに関係なく、今回の出来事が結果的にタレントとしての知名度向上に大いに貢献したのが象徴するように、ツィッターに向いている人には多大なる効果が期待できる一方で、ツィッター向けのペルソナを分離できない人々にとっては手痛いしっぺ返しにあう危険性の極めて高いメディアなのであります。

余談ですが、今回のミクシィメールアドレス問題もまた、ミクシィ向けペルソナを意図せざる形で晒されることになった被害者とも言えるのであります。 KAI