メディアの病(2)

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この方もまた、この病を患っているようであります。

この戦争に正当性などなかったことは、今や世界の常識である。

ブッシュに追従したオランダや英国ではその反省の機運が高まって、政府の独立調査委員会が検証を進め、オランダでは「イラク戦争は国際法違反」と結論づける報告書が公表された。

残念ながら、日本では政権交代したにもかかわらず、英国やオランダのような政府の取り組みは見られない。

今日の朝日新聞朝刊で、松本一弥記者は、どういう経緯で、日本がイラク戦争に加担する羽目になったのか、日本版「イラク戦争検証委員会」を立ち上げるよう求める記事を書いている。

委員会立ち上げには大いに賛成する。ただ、小泉首相がそういう判断をした背景に、朝日も含む日米欧のメディアがイラクの大量破壊兵器保有というニセ情報に踊らされていた側面があることを見落としてはならない。

メディアの問題は後述するとして、まず松本記者の記事を概観しておこう。松本記者は、閣内の議論を欠落させたまま、小泉首相が唐突にブッシュの戦争を支持したことを、当時の防衛庁長官、石破茂氏や、官房長官だった福田康夫氏の証言から指摘する。

「閣僚懇談会のような場で、イラク戦争支持の是非を議論したことはなかった」(石破)

「小泉氏からイラク戦争を支持するという言葉は明確には聞いていない」(福田)

つまり、小泉首相の独断に、国家の命運を委ねていたのが実態だった。
小泉のイラク戦争支持とメディアの責任

首相に求められるのは、まさにこの人の否定する「独断」。もちろんこれは「実行力」と言い換えてもいい。菅のように、「実行力」のかけら一つない「思いつき」と言う独断は、「独断」とは言わないのであります。

それにしても、この引用した記事の、このあとの展開を読んでも、ジャーナリズムの顔をした、まるで「散文」。

この「独断」だけではなく「検証」、「メディア」、「正当性」、「世界の常識」、用いられるすべての字義が、自分の都合のいいように使われるから、文章全体、ジャーナリズムの体をなしていないのであります。と思ってプロフィールをあらためて読んでみれば、元記者とあるだけで、言論で飯をくってはいないとある。道理で。

つまりは、こう言うことであります。

「当事者意識」のない記事や文章は、それがどんな言葉で着飾ろうが、そこにリアリティはない。まったく逆に、どんな拙い言葉で綴られようとも、「当事者意識」に根ざす文章は、激しく人の心を打つのであります。

メディアの役割とは、中立的第三者を装うことでもなければ、政府を一方的に批判することでもない。それは、私たちの社会が抱える問題を、当事者として国民と一緒になって解決する、そのための第4の権力が与えられているのであります。

この当事者責任と言う意識の決定的欠如。これを「メディアの病」と呼ぶのであります。
メディアの病と予知能力的週末テニス

メディアについては、すでにここに書いたとおり。イラク報道に限った問題でもなんでもないのであります。

元に戻って、首相の独断。これに国家の命運を委ねるのも、そもそも首相とはそのためのもの。であるからこそ、これを引き受けるほうも選ぶほうも、共にその当事者責任を厳しく自覚する必要があるのであります。

この意識の欠如もまた、民主党政権が運営する今の日本の命運に日陰がさす、決定的原因であることは、いまさら言うまでもないことなんであります。 KAI