贈与経済原論試論と週末テニス(2)

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なんだか、昨日のエントリーを読み直しても、論旨が乱れまくっている。酔っ払った勢いで書いたからだけど、たまにはこれもいいのであります。と開き直って^^;、先週言い残した、贈与経済の経済効果についてであります。

まず簡単な試算をしてみる。

国民の1割、1千万人が礼経済に従事するものとし、一人が1日6時間、月20日で、120時間この活動に参加するとすると、これを時給千円換算で、千万×120×千円=1兆2千億円。これは月間でありますから、なんと年間14兆4千億円もの付加価値を生み出すことができるのであります。

日本の国家予算のうち、社会保障・福祉予算が約20兆円。これに匹敵する規模の効果が見込めるのですから、話は俄然面白くなるのであります。

もちろん、この20兆円を礼経済にそのままおきかえれるわけではありません。国の予算と医療機関や介護施設、保育所などと言った直接の現場の会計との間が、直結しているわけではないからであります。

礼経済は、この直接の現場の経済を大きく変えることになるのであります。これが結果的に国家予算における社会保障費の負担を大きく緩和することに貢献する。そう言うことを理解する必要があるのであります。

具体的には、直接の現場で、まず収入よりも先に支出が品礼に置き換えられる。これは直接の現場の収支状況を劇的に改善する効果があるのであります。

これによりただちに支給される保険料交付金を減額する必要はない。順次、品礼を得た礼個人がこれを消費する側にまわり始めるからであります。といってもこれは10年単位のスパンであるからして、この「猶予期間」における経済効果は、優に数十兆円を見積もることができるのであります。

すなわち、この数十兆円とは、自治体の発行した品礼に他ならないのであります。

つまりは、贈与経済の本質は、ここにあるのであります。これが実体経済になんの影響も与えないで実現できる。まことにもって、理想的な成長戦略でもあるのであります。

更に理論的には、贈与経済原論のプリンシプルをして初めて、贈与をストック化することに成功したと言えるのであります(もちろん実現した暁のお話でありますが)。

と言うことで、納得の週末テニス。

人間、歳を取る意味とは、単純に体力の衰えであります。いわゆる「老い」を感じることであります。

土曜、4-6、3-6、3-4の3連敗も、要所要所で、パワープレイができない。パワープレイとは、筋肉であります。この筋肉が言うことをきかない、この哀しさ。

日曜、3-6、0-6、6-3、6-1、1-0と、かろうじて3勝2敗で勝ち越し。これもまた、ひろえるボールを見送ってしまう、この哀しさ。

しかしKAIは決して、贈与のストックをあてにして生きるつもりは、さらさらない。これだけは肝に銘じるのであります。 KAI