甘い検察

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まったくもって、甘い。

今回の村木裁判における検察は、見事なまでに弁護側の描いた「絵」にまんまとはめられてしまったのであります。

すなわち今回は、弁護側のシナリオ通りの判決であり、そのシナリオとは、公判における検察の挙証根拠となる供述調書の全面否定による無罪獲得であります。

しかし、公判で翻した係長の証言どおり、係長の単独犯行とすれば、係長と凛の会の直接の接点が示されなければならないし、たとえ接点があったとしても係長にとって公文書偽造は間違いなくクビがとぶ重大犯罪。しかも生涯を保証された中央官庁の係長と言う一公務員が、この程度の接点で自分の人生を棒に振るようなリスクをとったとはまったくもって考えられないのであります。

ゆえに、事実は検察側が描いた「絵」のとおりであると、KAIは思うのであります。

  • 2009年2月 - 大阪地検特捜部が、広告会社の社長らを逮捕。
  • 2009年4月 - 大阪地検特捜部が、大手家電量販店など広告主や凛の会の関係者を逮捕。
  • 2009年5月 - 大阪地検特捜部が、厚生労働省元係長、郵便事業株式会社関係者を逮捕。
  • 2009年6月14日 - 大阪地検特捜部が、村木厚子・厚生労働省雇用均等・児童家庭局長(不正当時社会・援護局障害保健福祉部企画課長)を逮捕。
  • 2010年9月10日 - 村木に無罪判決。
障害者団体向け割引郵便制度悪用事件、Wikipedia)
これは、この事件のできごとを時系列にならべたものですが、今回の弁護側のシナリオは、2009年2月の広告会社社長逮捕直後に練られたものに違いありません。

このままいけば、凛の会、石井一、厚労省元部長、村木、係長すべてが手繰り寄せられる。そこで出た結論は、係長の単独犯行。例の押尾の「お前の面倒は一生おれがみる」であります。初犯ですから当然執行猶予。厚労省のいきのかかった組織で面倒見ればいいだけです。村木もともだおれなら、これができなくなるわけであります。

そこで打たれた手は二点だけ。

まず一点目。係長が逮捕されたとき、弁護士から「被疑者ノート」を差し入れるので、これに取り調べの内容を毎日記述する。そして最後に必ず「調書は作文」と入れること。これによって、公判で供述調書否認の根拠となる。

二点目。凛の会元秘書が石井一に接触した日付を、石井一のアリバイのある日に変更する。元秘書のスケジュールの記録なんて自由に改ざんできる。

この二点において、見事村木の上と下の接点が切れるのであります。

それにしても、検察は甘いと言わざるを得ません。

最初から組織防衛のため、係長が供述を翻すなんて、簡単に予想できたこと。石井一だって、はいそうですかなんて素直に認めるわけがない。

これを前提に、逃げても追い詰めるだけの証拠固めをやるのは、検事だったらあたりまえなんであります。

すなわち、係長の供述調書に凛の会の接点に関する内容を盛り込む。単独犯行と供述を翻したとき当然直接凛の会との接点があるはず。それを肯定、否定どちらでもいいのであります。肯定する供述ならそのまま採用。否定なら、凛の会のメンバー一人一人の写真を見せながら面識のあるなしの供述で十分なんであります。

この供述が「調書は作文」となりえないのは明らかであります。面識のあるなしを検事が作文する必然性は皆無だからです。

では、石井一の接点はどうなるのか。当然石井にアリバイのある日を言ってくることを前提にすれば、その日の元秘書自身のアリバイとなるスケジュール表の前後の確認です。もちろん古い記録ですから出てきません。おかしいですね、なぜその日だけがはっきりしているのか。当然です。それが作った日だからです。

ですから、もちろん元秘書が自信をもって言った日付は採用しません。いついつ頃に会った、で十分なんであります。

そうすると石井側は大変なんであります。千葉のゴルフ場のアリバイが無力化するのであります。

係長が作成した文書の日付が6月1日。凛の会から催促したのが6月8日。この証言もまた同じ構造。なんでそんな昔の日付が簡単に特定できるのか。あくまで日付の範囲で供述を取っておけば何の問題もないのであります。(文書のコンピュータ上の日付の改ざんなど朝飯前なんですけどね)

検察の甘さの構造とは、要するに「絵の描き過ぎ」につきるのであります。

公判で供述を否認されても耐えるだけの「供述調書」。これこそ、真に罪を犯した者にとって恐怖の調書となるのであります。すなわちどっちに転んでも「証拠」になってしまうからです。

鈴木宗男とあわせて「国策捜査」と批判する人々が、いる。

当然であります。真実は、当事者のみしか知らないのですから、これをなんとでも批判できるわけであります。この批判に耐える検察の捜査とは、「真実の立証」でもなんでもない。愚直なまでの当事者の証言の「裏づけ」捜査以外にはないのであります。

ここで検察が犯す失敗は、罪を犯したとする証言の「裏づけ」捜査は一生懸命やるけれど、犯行を否認する証言の「裏づけ」捜査を一切やらないし、証言自体採用しないことであります。

あれ?

おかしいんじゃない?

それでは立証できないんじゃない?

それでいいのであります。立証できなければ不起訴にすればいいのです。それを起訴することこそ「国策捜査」の誹りを免れないし、たとえ公判で供述を翻されても、その裏づけ捜査がなされていれば、こわくもなんともないのであります。

「冤罪」の根絶。

これは、あなたにとって、決して「他人事」ではないのであります。 KAI