それにしても、見えない人にはとことん見えないのであります。
参院選の前に私がいくつかの取材で申し上げたのは、「鳩山政権末期の20%の支持率が、菅首相に代わったところで66%に跳ね上がるのは、論理的におかしい」ということであった。
菅直人は鳩山内閣の副総理であり、財務相であった。
彼は当然前内閣のもろもろの「失政」について、連帯責任をとらなければならない立場にある。
だとすれば、前政権のスタッフをほぼそのままのかたちで引き継いだ新内閣の支持率はせいぜい30%台にとどまってよいはずである。
いや、連帯責任を取らなくてよいのだという意見に基づいて、60%を超える支持を与えたというのがほんとうなら、その判断を基礎づける論拠は一つしかない。
それは「菅副総理・財務相は鳩山総理の政治的決断にほとんど関与できなかった」ということである。
だが、それほどまでに政治的影響力のない政治家に、「表紙を付け替えた」だけでいきなり6割を超える高い信認がなされるということは、論理的にはありえない。
とすれば、60%の支持率は、菅新総理の政治姿勢や政治理念への支持に対してのものではないとと考えなければならない。
ほとんど同じ陣容の内閣に世論調査は前週の3倍の支持率を与えた。
私はこの「無根拠に跳ね上がった支持率」を薄気味悪いと思った。
私の知る限り、この数字が「薄気味が悪い」と言った人はいなかった。
新政権への期待がそれだけ高いということだ、とメディアは説明した。
(フリーズする政治)
ほとんどウチダウォッチャーと化しているKAIでありますが、この支持率が跳ね上がった原因がわからないとは、ほとほと世間の人々の「気分」からウチダ先生、懸け離れてしまっているのであります。
菅政権の支持率は、こんなへんてこりんな「キャラ化」なんか持ち出すまでもなく、「めくらまし」の「小沢外し」によるもの。民主党支持者の積もり積もった非民主的「小沢支配」への鬱憤が、ただ晴れただけなんであります。
(日本の主権が何か問題でも)
この「キャラ化」に続いて、今回は「ダブル・バインド」。
これはご存じ「ダブル・バインド」である。
親の指示に従わないと罰せられ、従っても罰せられるという「出口のない」状況に長く置かれると、子どもはメッセージの解読に困難を来すようになり、やがて精神分裂病を発症する、というのがグレゴリー・ベイトソンの「ダブルバインド」仮説であった。
(フリーズする政治)
もちろんこの「ダブル・バインド」が、妄言以外のなにものでもないのでありますが、実はこの言葉には、いま国民が感じている切実なる思いが隠されているのであります。
すなわち、政治の「量子化」問題であります。粒子性でも波動性でも「ダブル・バインド」で解決しなくなった政治に粒子性も波動性も超える「量子性」を待望する、明確なる国民の意志なのであります。
え?わからん?
もちろん、意味不明でありますが、KAIにはやっと、これが明確に見えてきたのであります。
政治における「量子化」とは、いったいなにか。
それは、公務員を5分の1にすることであります。
国民は、理解したのであります。民と官と言う、粒子と波動の対立では解決しないことを。官ではない民、民ではない官。これが官を5分の1にすれば実現できることに、いま気づいたのであります。そしてこれを実現するために、みんなと自民に勝たせた。
いまやるべきことは、官を5分の1に減らすこと。
これで国債問題も、プライマリーバランスも、あっと言う間に解決する。小沢にはいろいろ言いたいことがあるけれど、もしこれに手をつけることができるなら、KAIは全面的に支持するのであります。
そして三番目。3ヶ月前の予測どおり、民主が割れる。もちろん小沢が自民と組んで谷垣総理で行くのであります。
(予測は楽し週末テニス(5))
小沢の、この1週間の雲隠れ。この線、濃厚と言わざるを得ないのであります。民主党の代表選前に、一気であります。 KAI