日本が米国の属国である説は、KAIが高校生の時からの耳だこ問題であります。
と言うことは、40年以上、同じ話が繰り返されていると言うことであり、まさに今も語り継がれる「日本昔ばなし」なのであります。「ぼうや〜よいこだねんねしな♪」。
「属国」とは、当然がごとく、「軍事的」属国であるとか、「経済的」属国とかではなく、「主権的」属国を、「属国」と呼ぶのであります。
「主権的」属国とは、端的に言えば、立憲君主制国家においては、君主である天皇も、主権者である国民の代表の首相も、宗主国米国の意の中にあると言うことであります。
いや、KAIさん、そこまでは言っていないけれど、「軍事的」属国は、明らかに「主権」が脅かされているんだよ、と言われる(言われてないけど)。
でもそれは、おかしいでしょう?
百歩譲るとして、「主権」の全部ではなく一部が宗主国米国に奪われているとしましょう。では「一部」とは何か。想像するに、米国政府の要求(利権)に沿う形で、日本国政府の政策が執り行われている。もちろん郵政民営化も、米国政府の意をうけて行われたものなんであります。ですから、あの郵政選挙は、間違っていたんだと。竹中も米国利権を利用して蓄財しているんだよと。
脱力。
それにしてもであります。つい先日取り上げた、「背理の病」(精神の背理構造と言う病に冒された世界と週末テニス)。これもまた「背理の病」の典型なのであります。
ミイラ取りがミイラ。「疾病利得」と言う「背理の病」を理解しているはずのウチダ先生自身が、これは「背理の病」に羅漢してしまっているのであります。まことに、根が深いのであります。この思考停止は「私たちは主権国家であり、私たちは外交的なフリーハンドを握っている」という言葉を国際社会に向けて、アメリカに向けて、なにより自分自身に向けて告げたいという切なる国民的願いが要請しているのである。
事実を知れば自己嫌悪に陥るとき、私たちは自分自身についてさえ偽りの言明を行うことがある。
それは人性の自然であるので、それを咎めることは誰にもできない。
(思考停止と疾病利得)
この病に羅漢してしまうと、まともに見えるものも見えなくなってしまう。
菅政権の支持率は、こんなへんてこりんな「キャラ化」なんか持ち出すまでもなく、「めくらまし」の「小沢外し」によるもの。民主党支持者の積もり積もった非民主的「小沢支配」への鬱憤が、ただ晴れただけなんであります。教授会のさいちゅうに携帯が鳴って、廊下で出たら、某新聞から電話取材。
本日、菅新首相の所信表明演説があったけれど、新内閣につい ての感想は・・・というご下問である。
こちらは授業と会議で、演説聴いてないので、なんとも言いようがないけれど、とにかく直前の内閣支持 率20%が3倍にはねあがるというのは「異常」だと申し上げる。
(中略)
菅新首相は前 内閣の枢要の地位にあった。
だから、前政権が繰り返し致命的な「失政」を犯したというメディアの報道が真実なら、「A級戦犯」として指弾さ れなければならない人物である。
そうではない、すべては鳩山由紀夫という人物の属人的無能ゆえの失政であり、閣僚には何の責任もないという のが、新政権およびメディアのとりあえずの「総括」のように思われるのだが、私はこのような「属人的特質によって、複雑な問題を単純化する傾向」のことを 「キャラ化」と呼ぶことにした。
(キャラ化する世界)
更に言えば、次回参院選、このまま民主党が「大勝」すれば、これは国民自身も「背理の病」に羅漢していることが明確となるのであります。すなわち、菅政権に変わっても政権の中身自体は何も変わってはいない。あいも変わらず言っていることとやっていることがすべてにおいて不整合を起こしている。民主党政権自体も「背理の病」なのであります。これを引き続き支持するのは、支持する人間自体「背理」でも気持ち悪くならない、「背理の病」の典型的症状を呈していると言うことであります。
ここまで書いて、はたと気づいた。
この「背理の病」も、「一知半解」も、「デッドロック」と「強制終了」も、すべてこれらの「言葉」と「現実」が、恐ろしいまでに一致する。まさに「現実」が、強烈に「言葉」とのシンクロニシティを起こしているのであります。
おそらくこれは、「現実」と言う社会そのものが、「身体性」と言う重石を喪失したことによるものと思われますが、このあたりの考察は、次回また。 KAI