なぜ遼も藍も突然目覚めたのか(2)

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ここにもまた、世間の期待に応えようともがく一人のスポーツ選手がいるのであります。

 新大関の把瑠都が重圧をはねのけて5連勝。豊ノ島にもろ差しを許したが、肩越しに右上手を取ると怪力を発揮して寄り切った。支度部屋で報道陣から、いい相撲だったと水を向けられると「ありがとうございます」とはにかんだ。

 気掛かりなのは体力面。場所前はイベント出席などで多忙を極めた。「いろんなことが続いた。疲れがあったね。経験のないことだから」と苦笑い。1日に2度の睡眠を取るなど回復に努めているが「それでも取れない」と表情に疲労の色がにじんだ。
お疲れの新大関・把瑠都/夏場所

ここに書かれてはいませんが、「疲れがとれないから、睡眠薬で無理やり寝ている」とテレビのインタビューに答えているのであります。

もちろん把瑠都は、他の日本人選手とは「世間」が違う。母国の両親や、親方といったごくごく狭い「世間」ではあるけれど、それでも「世間」の期待に応えようとするのは、他の選手と一緒なのであります。

まだ5日目、格下相手だからなんとか連勝しているものの、先場所に較べて、随分腰が高いから、そう連勝は続かない。

そんなことよりなにより、問題は、この「疲れがとれない」。

そうなんであります。

スポーツ選手とは、この「疲労」との戦いがすべてなのであります。例えば、サッカー。オシムも、岡ちゃんも、選手に全力疾走を要求する。選手はもちろんこれに応えようとするけれど、90分間すべてを全力で走り続けることは不可能(と思う)。

ではどうするか。手を抜くのであります。手を抜くことで、疲労を緩和する。

しかし、敵はこれを逆に利用する。相手が手を抜いた時を見計らうように、カウンターアタックを仕掛ける。だからオシムは、手を抜くな、手を抜く奴は外すと、厳しく言ってきたのであります。すなわち、疲労故の手抜きこそ、勝負の分かれ目であり、強いスポーツ選手とは、まさにこの「疲れ知らず」な選手を言うのであります。マラソンも同じ。42.195キロ。疲れたといって手を抜いた途端、先頭集団から取り残される。

すべてのスポーツ選手にとって、この「疲労」。これを克服することこそ、勝利に繋がる。

そこで、把瑠都の疲労なのであります。

なぜ把瑠都は「疲れがとれない」のか。理由は簡単であります。「睡眠薬」を使って眠るからであります。

スポーツ選手の場合、疲労を取るためには、別に横になって身体を休めるだけでいい。これで足りなければ、高酸素カプセルを使えば良いだけであります。

人はなぜ睡眠が必要かといえば、それは「脳内」のリセットのためであります。「脳内」と言う「自己」のリセットであります。この必要がなければ眠くならない。眠くならなければ眠らなければいいだけ。ただし身体を休めるために、横になって寝る必要がある。ただこれだけなのであります。

これを睡眠薬を使って強制的に眠るから、「自己」のリセットも強制的に行われる。これは目覚めたときが、めちゃくちゃ大変なのは、睡眠薬で眠ったことのないKAIでもよくわかる。強制的な「自己」のリセットの反作用で、かえって「疲れがとれない」のであります。

なんのことはない、把瑠都の場合、身体の疲労がとれないのではない。単に精神的な疲れの問題であり、それも「睡眠薬」なんかに頼るからであります。

これもまた形を変えた「薬物問題」。薬に依存する精神的な弱さの克服。横綱への道のりは、まだまだ遠いのであります。 KAI