石川遼と宮里藍、二人の日本人プロゴルファーの吉報が、重なった。
「中日クラウンズ」最終日、愛知県にある名古屋ゴルフ倶楽部和合コースで石川遼が記録した18ホール世界最小ストロークとなる「58」について、周囲の反応が入ってきている。
●この記録以前のツアー記録「59」を保持していた倉本昌弘
「すばらしい記録。僕の場合はパー71のコースで12アンダーの59だったけど、パーが少ない70のコースで58を出す方が遥かに難しいこと。
(石川遼の世界最小「58」ストロークに関する周囲の反応)
マスターズ2年連続予選落ちとさえなかった遼くん、誰も期待していなかった国内大会で、なんと「世界最小ストローク」を更新して優勝。
一方の藍ちゃん。
すでに、今季3勝目と言うのに、2勝目までまったくもってメディアの注目から圏外。それがいきなり、ヒットチャート1位に再登場。メキシコにあるトレスマリアスレジデンシャルGCで開催されている、米国女子ツアー第6戦「トレスマリアス選手権」の最終日。首位に1打差の単独首位からスタートした宮里藍が、この日7バーディ、1ボギーとスコアを伸ばして通算19アンダーで逃げ切り、早くも今シーズン3勝目を手にした。
(【速報】藍が1打差で逃げ切り、今シーズン3勝目!)
なんで突然、二人に、メディアの注目が集まったのか。
それは、二人が突然、目覚めたからであります。
では、なんで突然二人は、目覚めたか。それは、二人がきわめて「まじめな」男であり、女であったからであります。
この「まじめな」ことであることについて、世間はかつてもいまも、例えば「勤勉」とか「実直」とかと言うかたちで、「自律的」、「個性的」問題であるととらえているのですが、それがそもそもの、すべての問題における大きな間違いの始まりなのであります。
またまた、わかりにくい話ですまない((C)ウチダ先生)。
そもそも、「まじめさ」とは、なにか。それは、他者との関係性における、「他者」の期待と言う顔をした「自己」の期待なのであります。「まじめな」人であればあるほど、この「他者」の期待に応えようと努力してしまう。この結果は、当然のように「他者」の期待に応えることはできない。それは「他者」ではなく「自己」の期待だからであります。
すべての競技において、「勝ちたい」と言う思いを持ち合わせずして参加する競技者はいません。しかしこの「勝ちたい」思いだけで、「自己」を満たしてしまっては、あとはただ自滅するだけなのであります。
すなわち、競技とは、対戦相手と言う「他者」と自分と言う「自己」との戦いであり、「自己」の中における、「他者」がどう振舞うか、つまり、「自己」を「他者」で満たすことによって、対戦相手の心を「読む」のであります。そしてその裏をかく。勝つためには、これしかないのであります。
にもかかわらず、「まじめな」人ほど、「自己」を、対戦相手とは全く関係のない世間と言う「他者」、すなわち「自己」の期待、「勝ちたい」と言う思いで満たしてしまって、肝心要の対戦相手と言う「他者」が見えなくなっているのであります。
遼も藍も、いままであまりにもこの世間と言う「他者」の期待を、意識しすぎてしまっていた。そんなとき、二人に対するメディアの関心が、潮が引くかのごとく、二人の周りから消えていったのであります。ここでようやく、二人は、「他者」の期待から自由になった。自由になって、やっとその意味を理解したのであります。
もう、これから大きくぶれることはない。飛躍的成長と、大活躍の、「遼藍」時代の到来であります。
そして、ここに「まじめ」故に、世間の期待を一身に集めこれにもがき苦しんだ一人のマラソン選手がいる。
瀬古利彦。40歳以上の世代にとって知らない人はいない、「まじめ」を絵に描いたような男であります。この瀬古が、早朝NHKの番組「ホリデーインタビュー」に、ひさびさに登場。
15戦10勝。抜群の実力を持ちながら、なぜか2度のオリンピックでは、金メダルどころか入賞さえできなかった。24歳絶頂期で迎えた最初のオリンピックが、あのモスクワ。この参加ボイコットと言う不運があったにせよ、一番に国民が期待をよせるオリンピックと言う大舞台に立つと、瀬古は不振にあえぐのであります。モスクワから4年後のロサンゼルスも、そのまた4年後のソウルも、レース前の調整に失敗し、戦う前から自滅していったのでありました。三重県出身の元マラソンオリンピック選手、瀬古利彦(せこ・としひこ)さん。マラソン成績通算15戦10勝。二回のオリンピック出場など、かつて世界で名勝負を繰り広げたランナーは、今アフリカの難民キャンプで駅伝を伝えています。そこには、駅伝を通して人と人との絆を深めてもらいたいという瀬古さんの願いがありました。これまでのマラソン人生とたすきにこめる思いを伺いました。
(ひとりでは走れない〜元マラソンオリンピック選手 瀬古利彦さん〜)
瀬古とは対照的に、世間の期待通りオリンピックで金メダルを取ったのが、Qちゃんこと、高橋尚子。2000年シドニーオリンピックのことであります。
この二人の違いもまた、「まじめさ」による世間の期待への意識の違いに他ならないのであります。
はっきり言って、Qちゃんは、世間に対しては「まじめ」ではなかった。彼女は、小出監督に対してだけ一生懸命の「まじめさ」を通した結果が、金メダルであったのであります。小出監督と言う「他者」を「自己」の中に引き入れることで、他のランナーたちのすべてを見通した小出と言う一人の「他者」が「自己」となった。その結果、デッドヒートとなったリディア・シモン( ルーマニア)を制して、見事金メダルを獲得したのであります。
高橋尚子の勝因は、あくまで塞翁^^伯楽小出に師事したこと、この一点に尽きるのであります。
ですから、すべての実力のある選手にとって、世間の期待とは、まことに難しい。まったくもって鬼門なのであります。
そして世間には、たまに、この理路を天性で理解して、「ヒール」を演じる、強いスポーツ選手がいるのであります。「ヒール」を演じることで、世間の期待を自ら遮断する。こうすることで、勝負に集中するから、また強くなる。強いやつほど憎まれるって言うのは、一つの真理なのであります。
もし、瀬古に、この智恵があったなら、歴史は間違いなく違ったものになっていたと、KAIは思うのであります。 KAI