霊園的共同体論ことはじめ

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長距離ドライブは、ドライブ大好き人間のKAIにとって、まったくもって問題ないのでありますが、さすがに往復1300キロを日帰りするわけにはいきません。

と言うわけで翌日祝日である水曜日に、愛車エルグランドを駆って大阪までデモに出かけたのであります。早朝東京をたって、7時間かけて現地到着。それから6時間、こころをつくした出会いに感謝して、母が待つ実家に中国道、舞鶴若狭道をとばして帰る。すでに11時ちかくにもかかわらず、母が家の外で待っていた。

今年は採れすぎと言うタケノコづくしの、遅い夕食が待っていた。高速を降りて近所のローソンで買った麦焼酎を飲みながら食べるタケノコゴハン、タケノコ煮がまことに美味しい。ひとしきりよもやま話をして、母は先に寝る。ネットに繋がらないから、テレビを見るしかやることがないけれど、これもまた良し。1時過ぎ、母の出してくれた布団をしいてねる。

さすがにゆっくり寝て、母が久しぶりに面白いと絶賛するゲゲゲの女房を一緒に観ながら、鮎焼き朝ごはんを食べる。昨日デモのお礼にとおみやげにもらって自然解凍しておいたカニが、これまた美味い。タケノコ、鮎、カニと、なんとも贅沢の限りであります。

さて、今回帰郷の、もう一つの目的があるのであります。

お墓参り。

村のあちこちにあった小さな墓地を、村に一つあるお寺の横の、陽あたりの良い丘に集めて、小規模ながら霊園風の墓地にしたのであります。その初めてのお墓参りなのであります。

そのまま東京へ戻る用意をして、車に母を乗せ、墓地に向かう。さすがにエルグランドでは墓地の坂道を登れないので、車は近場にとめて、ひざの痛い母を支えてゆっくり歩いて登る。村の男衆数人が、お寺の境内と墓地の清掃作業をしている。そのうちの一人が、墓石の背面にある切り立った赤土の土手からタケノコが顔を出しているのを見つけて、根元から切り取る。そう言えば、そこら一帯が昔から赤土であったことを思い出した。

KAI家の墓は、前列奥にあった。その手前がだれそれのお墓、そちらがどこどこのと、母の説明を聞き流して、KAI家の墓の前に立つ。

線香を供えて手を合わせると、妙に清々しい気持ちになった。

清掃作業中の男の人たちに頭を下げて、坂道を降りる途中に見渡すと、目の前一面が青々とした田んぼの村の風景。

ああ、ここで生まれて、ここで育って、またここに帰ってくる。

亡くなった父、祖母、そして自分。村のすべての人たちが、この墓地と共に生きている。この墓地と共に繋がっている。墓地が霊園になって、これが鮮明になった。次々とお墓参りに訪れる人々と、境内や園内を清掃する人々。ディズニーランドとまではいかないまでも、霊園のこの自然な風景に、人々の精気があふれている。

離れた東京にあっても、これから一生、この光景を決して忘れることはない。

そう感じて、手を振って見送る老母を背に、一路東京へ車を走らせる。

一度近頃開通したとか言う京都縦貫道なるものを走ってみたいと、またすぐ高速に乗る。宮津方面とまったく逆方向に進んで大丈夫かなと思っているうち、スーパーループターンで京都方向一直線。と思うまもなく、終点。とんだ縦貫道、まだまだ京都は先であります。

京都南インターから名神に乗る。大津をすぎて「新名神」の表示を見つける。往路で見つけたのですが、古いカーナビしかないので、迷うのもこわいと躊躇したけれど、復路で挑戦することに。なにせ豊田まで、旧名神120分、新名神90分。30分も早いのであります。

なるほど、甲賀の里、伊賀の里を一気横断して伊勢湾へ。昔自転車で走った東海道、国道1号線と同じルートでありました。

伊勢志摩を目指す反対方向の大渋滞を横目に、北上し、また東に向かって豊田で東名に合流。以降渋滞もなく、6時前に東京到着。そのままオフィス横に新しくできた駐車場に車をいれて、8時過ぎまで残った仕事を片付ける。

家に帰って、母にもらった、KAIが連休しばらくいると思って間に食べさせようと買った1本丸焼きのサバを大皿に出して、ちんぐを呑む。またひとしきり今朝の霊園の風景が、目に浮かんでくるのであります。 KAI