今なにが起きようとしているのか週末テニス

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新党が続々とできている。「創新」は、中国語で「イノベーション」の当て字だそうですが、大化の「改新」、明治「維新」ときて、平成「創新」とは、なかなかうまいもんであります。

それにしても、世の中これからどうなっていくのか。もちろん神様でも何でもありませんのでわかりませんが、予知能力のフォースに身をまかせれば、おのずとこれも見えてくるのであります。

すなわちそれは、「政治のオープン化」以外にはないのであります。1980年代に始まったパソコンによる「コンピューティングのオープン化」を皮切りに、1990年代の「経済のオープン化」いわゆるグローバリゼーション。そして2000年代のインターネットによる「コミュニケーションのオープン化」と、世界中で「オープン化」の嵐が次々と襲来しているのであります。

そして、2010年代、世界中を「政治のオープン化」の嵐が襲うのであります。先陣を切るのが、わが日本。

「オープン化」で何が起きるのか。それは、「地位」の逆転であります。

「コンピューティングのオープン化」は、「メーカー」と「ユーザー」の地位が逆転し、ついでに「ハードウェア」と「ソフトウェア」の地位も逆転した。「経済のオープン化」は、「メーカー」と「消費者」の地位が、「コミュニケーションのオープン化」は、「メディア」と「消費者」の地位が、すべてにおいて逆転してしまったのです。

では、「政治のオープン化」で何が起きるのか。それは、「政治家」と「市民」との間の地位の逆転であります。

わかりにくい話ですまない((C)ウチダ先生)。

「政治家」は、選挙に落ちれば只の人。ですから、選挙に勝つためだったら、何でもやる。ポピュリズムと言われようがなんだろうが、違法でないかぎりなりふりかまってはいられないのであります。むかしもいまも、なんら変わりはない。しかし一旦選挙に勝てば、絶対的権力を持てる。

一方の有権者である「市民」は、そうはいかない。美人投票と一緒で、多くの人が美人と思う女性に投票しない限り、勝ち組に入ることは適わない。自分の好き嫌いだけで投票する限り、自分の希望を叶えるすべはなかったのであります。その上、勝ち組に入ったとしても、所詮お願いするだけで、実質的に次の選挙までなにもできない。

これが、いま変わった。

多数派の指標である、政党支持率。無党派層が、過半数になった。これは何を意味するのか。実権が、有権者である「市民」のフリーハンドになったってことであります。つまり、無党派層を押さえない限り、政治の主導権も、議席もなにも取ることはできないのであります。

今の新党ラッシュも、この無党派層の拡大に呼応したものでしかないのであります。

もちろん、なぜ無党派層が過半数になり、新党も次々できだしたか。これは簡単に説明することができる。これもまた「コミュニケーションのオープン化」によるものであります。先に書いたように、多数派イコール与党政党、あるいは、利権団体しかなかった中で、利権イコールメディアである、この「メディア」の地位が、「コミュニケーションのオープン化」で「市民」と逆転してしまった。つまり、コミュニケーションを主導するのは、「メディア」ではなく「市民」に移ってしまったってことであります。

この点においても、いま「メディア」を「偏向報道」と批判する方々は大いなる勘違いをなさっている。いま「メディア」が報じているのは、「市民」の意識そのものであり、そうしなければこの「メディア」は「市民」から取り残されるだけなのであります。

もともとからして「市民」の意識とは、多様なものであります。美人投票の必要がなければ、最初から「メディア」や多数派に白紙の委任状など差し出す必要はさらさら、ないのであります。

「政治家」にとって、「市民」に自分に投票してもらうためには、議員となったその日から、次の投票日当日まで、いままでのような「メディア」へのアプローチではなく、直接「市民」へのメッセージを送り続けるしかない。

では、具体的にどうやって、これをやるか。このために、「ブログ」と言うあらたな「メディア」があるのであります。もちろん記録として参照の難しい「つぶやき」では、これはできない。そして政党も当然のように公式ブログで発信する。この公式ブログを読めば、民主党のように政策がころころ変遷するのも、一目瞭然となる。

これらの「ブログ」を読み「続ける」ことで、「政治家」や「政党」を「市民」が選ぶ。

いま「市民」は誰も、選挙の時だけの耳に心地好い「マニフェスト」を聞いても、まったくこんなものは信用してはいないのであります。主導権は、「政治家」にではなく「市民」の側に移ってしまったことを認めるしか、「政治家」や「政党」が生き残るすべはないのであります。

つまりはそう言うことであります。

こう考えると、この夏の参議院選挙は、もちろん、民主は大敗し自民も去った人の数を確保するのに精一杯となる。

鳩山から菅に替わった総理と違い、相変わらず幹事長に居座る小沢。自らの訴追問題を抱える以上、辞めるにやめられないのであります。

一方、参院選大敗で選挙の小沢の呪縛から解放された民主は、衆参ねじれ解消のために、あらたな連立を組む。ここは小沢の辞任と議員辞職を条件に、連立先の党首を首相にするしかないのであります。これにたいして、もちろん小沢は抵抗する。そして民主は、割れる。

が、波乱もいったんここまで。あとは3年後の衆参同日選で、またあらたな連立。

2010年代は、これを繰り返し、やがて「政治のオープン化」が完了するのであります。

だいたい、こんなもんでいかがでしょうと言うことで、週末テニス。

あいかわらず、こちらも人材不足^^;。土曜、ネモトくんとサコタくんのダブルコーチで、7-5、7-6(7-5)、0-4と第2セット、辛くもタイブレークを制して、2勝1敗。

日曜は、足を治療中のM田さんに替わって、シミズくん。6-3、6-4、2-6、2-2と、シミズくんから貴重な1勝をもぎとる。

大きな流れの中に、変わらない日常がある。このしあわせに、感謝するしかないのであります。 KAI