テレビとは「意識の中の街の風景」(2)

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昨日のお話。テレビだけではなく新聞、ネットも、「意識の中の街の風景」にはならないのかと疑問に思われるかもしれない。新聞、ネットは、あくまで主体は「文字」。「文字」は意識的に「読む」必要がある。しかし、テレビは、「視る」必要はなく、「見える」で十分。つまりはだから「風景」となるのであります。

更には、実際のリアルな「風景」について、世界中を旅したことのある人以外は、大半がテレビでしか見たことがないもの。私たちの「共通」する「意識」の中に占めるテレビと言う「意識の中の街の風景」の割合が、思うほどに決して小さくはないと言う事実は、ことの本質を理解する上できわめて重要なポイントとなるのであります。

このお話に関連して、今、政界の「風景」を見るにつけ、いまほど政策なるものの「合意形成」とはなんであるか、これを理解するのにうってつけな、まことに面白い時代はないのではないかと、KAIは思うのであります。

古きよき自民党政権時代の、「合意形成」。派閥内部や派閥間の議論を、国民はテレビを通して長い間見せつけられた末に、ある一つの「政策」が出てくる。もちろんそのあとも、議論は尾を引くけれど、最終的には国会の議決で決着することになっていた。

これは、国民にとって、テレビを通して見る自民党内部の議論が、あたかも「シミュレーションゲーム」のように疑似体験となっていたことは、間違いないのであります。

実はこの、恐らく誰も計画的に意図したわけでもない「仕掛け」こそ、政策の「合意形成」のために欠くべからざる<「共通」する「意識」>を、国民一人一人の「脳内」に醸成するきわめて大きな役割を担ってきたのであります。

これが、小泉政権に至っては、テレビの中から飛び出してきた。例の郵政選挙であります。ですから、国民にとっての郵政選挙は、決して「意識の中の街の風景」だけではなく、現実のリアルな風景であり、リアルな時間的経験として、私たちの「共通」する「意識」の中にあるのであります。

このことを自民党の今の総裁は、すっかり忘れてしまっている。

 この決着の翌日、国会では党首討論が行われた。しかし自民党の谷垣禎一総裁は、郵政問題について一切質問をしなかった。
【正論】慶応大学教授・竹中平蔵 国民の負担を増やす「郵政改悪」

自民党をぶっこわした、市場原理主義で格差を拡大した。確かにこれも「意識の中の街の風景」となってしまった観がある。しかし、だからと言って、自民党を支持してきた国民の「共通」する「意識」を無視することは、決して許されることではないし、自民党にとって一文の得にもならないことが、なぜ理解できないんでしょうか。ま、どうでもいいけど。

もっとひどいのが、民主党。

すべてがすべて、先に述べた「合意形成」のための必要十分条件と、180度反対のことばかりであります。

普天間しかり。普天間問題解決のための「共通」する「意識」を、ことごとく覆していく。「合意形成」とは、いままで一致していなかった意見や考え方が突然一夜にして合意に至るなどといった話とは、まるで違うのであります。

議論するための「共通」する「意識」と言う土俵がなければ、議論を始めることすらできない。この「共通」する部分がたとえ最初は少なくてもこれを少しずつ広めていくのが、「合意形成」と言うものの基本であります。

これが、かつての自民党政権のような党内の議論も何もなく、場外乱闘だけの格闘技選手権さながらに、ラウンドを重ねていく。

別に民主党政権に塩を贈るつもりもないので、これ以上は何も申し上げませんが、「党」のために「国民」を、他国に差し出すようなまねだけは勘弁願いたいものであります。 KAI