楽天が勝てないのにはわけがある週末テニス

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まだ11試合消化だけとは言え、最下位の日ハムと並んで8敗。

この楽天が勝てないのには、明確なわけがあります。そうです、ご想像の通り、あの解任劇。

特に、楽天社長ほど、この世に監督の意味を理解していない人間はいないのではないかと、KAIは真剣に思う。監督とは、現場の総責任者である。その責任者が、これから自らの使命である決戦に立ち向かおうとする矢先に、その結果を問わず監督解任を通告されるなどと言うのは、恐らく人類史上初めてではないかと、KAIはオーバーにではなく、思う。
岡田監督と野村監督、あと週末テニス

残った選手達にとって、もちろん万年最下位からCSに勝ち残るまでになったのは野村監督のおかげではあるけれど、自分たちの実力でもあると思いたい。それを証明するために、新しい監督のもとでも勝ち続けなければいけない。はずが、そうはならなかった。

いったいなぜなのか。これを見事に説明するのが、ウチダ先生。

楽観派は「いや、けっこう来ますよ」と残留率を高めに設定し、悲観派は「いや、よそに流れます」と低めに設定する。
このバトル(というほどでもないけれど)が、入試シーズンの風物詩なのである。
私はもちろん人も知る楽観主義者であり、残留率高め設定を主張しているが、私の無根拠な楽観に対して同僚たちは総じて不安顔である。
その拮抗の中で今年度の残留率が算定されたのであるが、私の「楽観」と同僚たちの「悲観」のどちらがより現実を正確に把握していたのかは、あと1月ほどで判明する。

私が好んでものごとを楽観的に見るのは、悲観的予測をするとしばしば悲観的未来を進んで呼び寄せてしまうことを経験的に学んだからである。
というのは、悲観的予測をしたあとに、そのような事態が到来しなかった場合、それは予測者の知性がかなり不調であったことを証明してしまうからである。
それゆえ、大学教員のように自分の知性が好調であることを証明することが死活的に重要である職業においては、悲観論者は(無意識的に)、悲観的事態の出来を願望するようになる。
予想とおりの危機的事態が起こり、楽観論者が備えをしていなかったせいで、右往左往している様を見て「だから、言ったじゃないか」と冷笑を浴びせる日の来ることをいつのまにか待望するようになるのである。
そして、その日の到来を前倒しにするために、わずかずつではあるが、悲観的事態そのものを自分の手で作り出すようになる。
日常的には「だから、この学校はダメなんだ」という捨て台詞を会議や打ち合わせの席で頻繁に口にするというあたりから始まり、教場で学校のシステムや同僚の無能をあげつらう、やがては近所の高校生に「女学院大学に行きたいんですけど」と訊かれたときに、反射的に「止めたほうがいいよ」と忠告するようになる。
このような人々の日常的努力のおかげで、問題の多いシステムが円滑な機能を回復するということは起こらない。働きの悪い同僚たちの士気が高まるということも起こらない。学生たちが上機嫌で勉強するようになるということも起こらない。
もちろん彼らのおかげで志願者数が増加するということも起こらない(絶対)。
残留率と楽観主義

楽天の選手たちは、本来はみな楽観主義者だった。野村監督におだてられてここまで来てしまったのは、楽観主義者以外のなにものでもない。そんな彼らを、野村監督の解任は、ものの見事に悲観論者に変えてしまったのであります。

開幕以来の最悪の勝率は、解任が間違っていると思う選手たちが、無意識的に解任が間違いであったことを証明しようとしている結果なのであります。そしてこれをメディアが補強する。昨シーズン、初っぱなからメディアに野村監督のぼやき映像が出ない日はなかったのに、今季、取材記者すら集まらない。

当然こんなことになるのは、簡単に予想できたこと。

そうならないようにする方法は、いくらでもあった。野村監督が、チーム作りを完成させようとした、今季1年限りの契約とするだけで十分だったのであります。野村監督も、選手たちも、楽観論のまま、CSの勢いそのままにペナントレースを突っ走ることができる。勝つことの必然性を負っているから、悪い方向に働くものが微塵もない。いまごろ恐らく1位か2位を争っていたのはまず間違いありません。

では、そのあとのシーズンはどうするのかって。当然がごとく、日本シリーズ制覇という有終の美とともに引退の監督、その後を継いだ新監督のもと、気分一新、ますますの快進撃となるのであります。

これぞ、楽観主義者の真骨頂。

そして、楽観主義的週末テニス。のはずが、土日、どちらも1勝しかできなかった。土曜、4-6、2-6、6-2、1-3、日曜、3-6、1-6、6-1、3-4と、そろって1勝3敗。理由は、なかなか回復しない持病のせい。それでも1勝できるだけでも、ありがたい。気分が全然違うもんね。

それにしても、楽観主義。毎週毎週、よくメンバーがそろうもんだと思うけれど、それでもなんとかなるもんであります。

だから、私は同僚たちには(多少の無理を承知で)、「楽観的に行きましょうよ」とつねづねご提案しているのである。
「まあ、なんとかなるよ」と言った手前、その未来予測の正しさを実際に「なんとかなった」ことによって証明せねばならないからである。
そのための努力を惜しむと、事後的に自分が「バカだった」ことになってしまう。
これはたいへんと、こまめに出来の悪いシステムを補正し、同僚たちを励まし、学生たちに微笑みかける。
個々の効果は微々たるものであるが、塵も積もれば山となると俚諺に言うように、楽観的な人間が多数派を占める集団は悲観的な人間ばかりで構成されている集団よりも危機を生き延びる確率が高いのである。
残留率と楽観主義

もちろんこれはテニスだけではなく、仕事も何も、すべていっしょ。テニスも仕事も、集まってくる人たちがみな楽観主義者だったから、ここまで続けることができたのであります。なかには悲観論者もいたけれど、そう言う人は長くは一緒にいられないから、やがて一人もいなくなった。

そういえば、サンプロの後番組。5分見ただけだけど、すぐチャネルを変えてしまった。こう言う悲観論者ばかりの番組って、いったいなんなんでしょうね。 KAI