映画やテレビドラマのようなシーンなんて、自分の身のまわりには、まったくない。にもかかわらず、人は、事故を起こし、怪我し、毎日毎日傷つきながら戦っているのであります。
常在戦場。
やっとこれに目覚めた力士がいます。
朝青龍が土俵を追われ、三国志の一角を縫うがごとく頭角を現した、把瑠都。
相撲と言う、パワーバランスの中で、その礼節に欠けるとはいえ、朝青龍が占めていたパワーには並外れたものがあったことに、誰も疑いをさしはさむ余地はないのであります。
この朝青龍が、不本意にも引退させられた途端、一人の外国人力士にパワーバランスがまわってきた。以前の把瑠都の相撲は、琴欧洲に酷似していた。腰が高く、腕力に頼るから、廻しが取れないと手も足も出ない。
大相撲の醍醐味は、他の競技と違って、昔の柔道もそうだったわけですが、体重別にランク分けされないことにあります。小兵が大男を倒す。こんなことが、なぜできるのか。それは、自らの重心を大男の重心の中に入れることで、一見不可能に見えることが実現するからであります。
大男もこれは一緒。相撲の極意とは、重心を上下させずにいかに低く保てるか。この一点にあると理解して、大相撲の取り組みを観ると、勝負の分かれ目がどこにあったか、一目瞭然なのであります。
身長198cm、大男である把瑠都。いままでこれが理解できていなかったから、いつまでたっても腰が高い。
ところが一転、なにがきっかけとなったかは明々白々、見違えるように腰が低くなった。これが一番よく分かるのが、寄り切り。しこを踏む姿勢で相手を寄り切る。これができるようになると本物なのであります。
このきっかけは、やはり朝青龍の強制引退。実は、相撲の重心とは、身体の重心だけではない。身体の重心と、もう一つ、心の重心と言うものがある。この二つの重心が一致して初めて、いわゆる心技一体となるのであります。
常在戦場。横綱でさえ強制引退させられる。緩みきっていた把瑠都の心の重心を下げた。すると自然に身体の重心も下がる。不思議なもんであります。
そして毎日が戦いの中のオアシス、週末テニス。
土曜、4-6、4-6、3-5の3連敗は、なんともふがいない。これに発奮しないわけにはいかないと言うことで、日曜。6-2、7-6(8-6)、2-2と、2勝1分で少し挽回。
心と身体の重心を低くして、心と身体のバランスを取る、それが週末テニスなのであります。 KAI
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