春分の日に週末テニス

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自然の摂理の中で、人は生きている。この真理に、抗うことは、人はできない。

春分の日もまた、自然の摂理。であるからして、人は春分の日を彼岸の中日として、特別な日としてきたのであります。

もちろん、これを人が積極的に意識することはないのでありますが、気がつけば人の振る舞いとはこうした自然の摂理の中で執り行われていると言う事実は、当たり前と言え実に驚くべきことなのであります。

すなわち、日常あたかも自らの意志で墓参りをし、コンサートに行き、レストランで食事をすることが、実はすでに自然の摂理の中で約束された出来事で、ひょっとしてあるのかもしれない。

いまあなたは、なぜそのテレビを観て、流れる音楽を聴き、その場所にいるのか。当然、1ヶ月前からの約束の人もいるでしょうが、だからといっていまのいま、なぜそうなったかは何も説明されることはないのであります。

かように、人が生きると言う、一見偶有性に満々としたものに見えることが、実はまったく反対の自然の摂理と言うものにより深く、これが支配されているのではないのかと言うことであります。

そして、彼岸の中日をはさんだ三連休。道路は大渋滞。これもまた、自然の摂理なのであります。自然の摂理に逆らえなかったO谷さん、週末テニスに向かう途中の東名大渋滞で、40分遅刻。

そして、自然の摂理の結果は、7-6(7-5)、2-6と1勝1敗。なぜか最初からタイブレーク。これに辛くも7-5で凌いだけれど、これが「兆候」であったことは、翌日分かる。

日曜テニス。春の陽気と舞う風に悩まされる。いまひとつペースが上がらないから、着ていた上着を取って半そでシャツ1枚になったら、なんだか蓑から出た蓑虫、貝殻のないヤドカリ気分。なぜかサービスのフォームが全然決まらない。身体のバランスが、バラバラ。冬の間の厚着モードから、夏テニスモードへの切り替えが、第4セットになってようやく間に合う。と言う結果は、3-6、1-6、4-6、3-1と3連敗の後の貴重な1勝。

まことに人は、自然の摂理の中で、ひたすらに生きていくしかないのであります。 KAI