世の中の大きな流れなんてものは、地球の自転と一緒で、流れと一緒の地上にいてはまるで見えない、そう言うもんであります。ですから、おそらくこれは誰の「センサー」にも、いまのいま、いまだ感応していない重大問題なのであります。
民主党の生方副幹事長解任騒動と、世間のツイッター気触れが、実はそれを端的に示す兆候であるのですが、いったいそれはいかなるものであると言うのでしょうか。
この二つの事例の特徴は、条件反射的、短兵急であると言うことであります。
解任騒動問題は、あとで説明するとして、問題のツイッター気触れ。
この「逆進」がうまく機能しなくなった理由も簡単です。ソフトウェアと言う技術の「逆進」とは、技術を身体性に近づけることを通り越して、身体性そのもの、すなわち身体化を意味しているからであり、身辺にあるモノを通して理解することは、もはや原理的に不可能になってしまったからです。
言わば、モノの技術の「逆進」が身体性といかに近づくかと言う距離空間問題であるのに対して、ソフトウェア技術の「逆進」は、過去の思考体験と言う身体内部における時間空間への「逆行」と言えるわけです。
なるほど、Twitterで何が起きているのか。それは身体の量子化と言う、凄まじい変化です。人は、果たしてこの環境にいかなる適応をし生存していくのでしょうか。他人事ながらまことに興味深い問題であります。
(中略)
だとすれば、唯一の可能性は、「つぶやく」者たちには「スライス」可能なもう一つの身体があるとしか考えられません。これはまさにネット空間における、2チャンの「匿名」に継ぐ第3の自己、「実名」と「匿名」両方の性質を兼ね備えた、言わば「量子化した自己」であります。
(逆進する技術、逆行する身体)
ここに書いた「凄まじい変化」は、すでに20年前の私たちの会社の創業当時から、これを現実として受け入れ、現場に応用してきたからこそ、もっともこの意味を理解していると言えるのであります。もちろん、「スライス」可能なもう一つの身体が「公」の身体だから可能になった話ではありますが、この話はのちほどまた。
私たちの会社には、創業当時からのメールシステムがあります。
ここにある不具合レポートだけではない。バグレポート、アドレポート、対応レポート、デモレポート、出退勤メール、勤務届け、掲示板、ありとあらゆる事象が、メールフォーマットに従い、リアルタイムに社内を流れる。PCSと言うのは、プランニング・チェック・シートの略で、KAIが20数年前にKJ法に対抗して^^;考案し発展させてきた、問題解決技法です。
PCSでは、発生する問題項目をすべて、s項目、p項目、i項目のいずれかに分類して、そのそれぞれの項目毎に、発生日、期限、解決日、担当者、対策を明示する仕掛けです。これを初期の頃はA4横のワークシートに項目を10件記述できるようにして、利用していましたが、現在は1件、1件の項目をすべてメールで記述するルールに進化しています。
s項目とは予定項目のことで、例えばいついつまでにこのプログラムを作らなければいけないといった場合、このメールのサブジェクトは次のようになります。
s:6/20:/:kai:アウトバウンドコミッション計算オプション作成
p項目は計画外項目のことで、プログラムに不具合が発生したとか顧客からクレームがあったとかといった、予定外の問題が発生した場合に使用します。s項目でない、対策の必要な問題はすべてp項目に分類されます。
p:5/19:/:kai:出荷業務出荷作成機能不具合レポート
最後のi項目は、情報項目といって作業を伴わない項目です。いわゆる単なるおはなしです。
i:5/19:kai:SMBC担当者からTEL
KAIが現役の頃は(今も現役ですが^^;)、A4のPCSを常時100枚くらいかかえていて、その中の半分以上の項目に解決日が記述されていませんでした。つまり未解決のs項目、p項目が常に数百件あったと言うことです。
しかしそれでもまったくあせる必要がありませんでした。なぜなら“すべての問題が記述されている”からです。仕事を終え終電で帰る時も、問題がすべてPCSに記述されていることさえ確認すれば、会社のドアを出たその瞬間頭の中はプライベートモードに切り替わります。翌朝も簡単です。出社して一番の仕事がこのPCSをチェックすることです。期限によってプライオリティを決め一つ一つ淡々とこなしていきます。あっと言うまに終電の時間です。この繰り返しです。
(久しぶりにPCS)
もちろん、顧客とのやりとりのメーリングリストも共有化され、24時間365日のコールセンターがこれをチェックする。いついかなるところにいようとも、私たちは「現場」に居合わせることができるようになったのであります。
かように、とうのむかしから、ツイッターがなくても、すでにリアルタイムの「現場」世界を、私たちは享受してきた。しかしこれはあくまでビジネスと言う「公」の世界でのお話しだから、可能であったこと。
20年遅れて出てきたツイッターの世界は、「公」ではなく「私」。この「私」と「私」が瞬時に繋がっていると言う、全能感。この全能感によるのかもしれないが、「私」としての「量子化した自己」には、どうやら麻薬的効果があるようです。瞬く間に常習化し、環境と化してしまった。
「環境の動物」と言う言葉どおり、私たち人間は、ほとんど無意識のうちに、自らを取り巻く環境に適応し生きている。当然のように、ツイッターと言う環境にも、適応し始める。
これで何が起きているのかと言えば、それは、条件反射的に入力情報に反応する人間の大量生産であり、脳の中でのニューロンのスパークネットワーク形成とまったく同様のことが、私たち社会でも着実に進行し始めていると言うことであります。
こう考えると、生方問題も、よく見えてくる。なぜ後先考えず短兵急な解任劇が起こるのか。もちろん後先考えていたら、こんなことは起こらない。この「短兵急」であることこそが、社会の脳化を示す典型的な特徴と言えるのであります。
これはなにもツイッターに限った話ではない。視聴率や世論調査への過敏な反応も、これまたしかり。一人一人の思考と言うポテンシャルを、社会は明らかに喪失しているのであります。
はてさて、この事態に私たちはいったいいかなる対処の仕方があると言うのでありましょうか。きわめて深刻な問題なのであります。 KAI
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