保守を考える(2)

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KAIは、和田秀樹と言う人物がどういった方であるか、まったく存じ上げないのですが、さすがにこんな次元の低い議論を公にされては、文句の一つや二つ言いたくもなるってもんであります。

 小泉純一郎内閣以降、自民党はむしろ改革政党を身上としてきた。保守政治家の代表格に思われがちな安倍晋三氏ですら、「改革をやめるな」がスローガンだった。従って、前回の総選挙での民主党圧勝は、民意が自民党の「改革」以上の改革を求めて政権交代を望んだのか、逆に「改革」以前の自民党のような政治を求めたのかを十分に分析すべきだろう。

 「保守」が日本の良さを守るという意味であるなら、いつの時代の日本の良さを守るのか、ということも考えないといけない。それは、戦前、あるいは長い歴史を持つ国としての日本の良さである以上に、自民党の長期政権時代の良さなのではないか。かつての日本は、多くの国民にとって、そこそこ満足できる国だった。だからこそ、自民党も長期政権を維持できたのだろう。
(中略)
 ところが、日本はその失敗した教育改革の後を追い、国土の広さや天然資源がない分だけアメリカ以上に重大な学力低下や産業低迷の高い代償を払うことになった。

 経済面でも日本のアメリカ型の「改革」の結果、人々が格差社会と感じるような社会が生まれ、製造業も外需依存を強めた。外国の景気が悪いとたちどころに不況に陥る構造と化した。さまざまな民営化は、財政上のお荷物を解決することになったが、赤字部門の撤廃で、結果的に地方の交通網その他が大打撃を受け、地方と首都圏の格差の拡大につながった。

 私の考える保守とは、このような弊害をなくし、日本の良さを再建するモデルの提示であるが、もちろん一例に過ぎない。ただ冷戦後の保守は、単純に、資本主義を守るといった意味だけではなくなった。自民党の掲げた保守主義に期待するが、その際、何を守る「保守」なのかを国民に提示することこそ、夏の参議院選挙で、国民に示す選択肢になり得る道と考える。
【正論】精神科医、国際医療福祉大学教授・和田秀樹■自民党は「保守」で何を守るのか

デマゴーグとしてならまだしも、大学教授たるもの、いったいいつまで、この取り上げるだけで腹立たしい小泉改革が格差を生んだと言うデマを、検証もせず固定化して繰り返すのか。

おまけに、「保守」を、「日本の良さを守る」とか「日本の良さを再建する」と言うのは、これは単なる「復古主義」であり、そもそも「保守」と「改革」を較べてこれを対立する概念ととらえること自体、はなはだ失礼ながら小学生並みのご理解としか言いようがないのであります。

伝統とは何かに関しては、能や歌舞伎のような実体を伝統とする説から、生き方・精神の形・言葉づかいの規則のような形式を伝統とする説まで諸説ある。だが、保守主義や保守的といった言葉が指すのは、特殊な場合を除いて、この政治思想としての保守主義である。対立する概念は、革新と呼ばれる現状変革を求める考え方である。保守主義は、変化を求める側からは批判的に守旧派・反動派と呼ばれる場合がある。だが保守主義は、以下に見るように、単なる現状維持としての守旧や復古主義的な反動とは異なる。[要出典]

フランス革命当時の保守主義は「今あるアンシャン・レジームとレッテル貼りされた諸制度は、遠い過去からの取捨選択に耐えてきたものであり、これを維持存続させることが国民の利益になる」(とする主義)と定義されていた。

「維持せんがために改革する」というディズレーリの言葉や「保守するための改革」というエドマンド・バークの言葉からも明らかなように、保守主義は漸進的な改革を否定せず、過去に獲得されてきた市民的諸権利を擁護する。
保守、Wikipedia

このウィキペディアの記述を持ち出すまでもなく、「保守」と「改革」とはまったく次元の異なる概念であり、「保守するための改革」と言うように、互いに両立し補完し合う概念なのであります。

これを正しく理解するための基本的考え方は、ここにすでに書いてあります。

自民党が「正しく再生」できるたった一つの方法とは

この池尾和人先生の講義録を読めば明らかな通り、私たちの社会と言うものは、世界的大潮流の中にあって、いまのいまも激しく変化していると言う認識であります。

つまり、「保守」とは何であるかの「定義」いかんに関わらず、「保守」の主体たる私たちの社会は、常に「変化」していると言う事実であります。

この社会が「変化」していると言う事実に立てば、いかなる社会を理想とするかは、たった二つの結論しかあり得ないのであります。すなわち、「変化」を受け入れた社会か、「変化」を受け入れない社会かであります。

「変化」を受け入れないとは、簡単に言えば現状否定です。現状を否定するところに私たちの理想とする社会があると考えるわけです。

ですから、「改革」にも二つあって、現状を受け入れ「変化」に対応するための「改革」と、「変化」とは無関係なところで理想社会を目指す「改革」。これこそが、逆説的に、「保守」と「反保守」を定義することになるのであります。もちろん前者が「保守」であり、後者が「反保守」であるのは言うまでもありません。

人の価値観とは、多様です。同様に、私たちの社会とは、多様であり、また多様であるべきであります。「保守」とは、この社会の多様性を受け入れ、これを維持する思想であり、逆に「反保守」思想が、(特定の価値観に依存する)理想社会と言うかたちでの社会の多様性の否定に繋がっていることは、誰が考えても明らかなことであります。

今の民主党の恐ろしさの本質は、まさにここにあるのであります。 KAI