2010年と言う年の意味を考える

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あけましておめでとうございます。

元旦は、大雪の田舎で迎えた。東京から8時間かけてたどり着いた大晦日の夕方、すでにこんこんと降り始めていた雪が、翌朝玄関前に拡がる景色を、すっかり白一色の銀世界に変えてしまっていました。

ここ何年も、正月に田舎に帰ることができなかった。今年も、帰るにしても2泊しかできないから止そうと思っていたところに、娘がおばあちゃんに会いたいと言い出したから、この話を田舎の母に告げて帰ることにしたのに、肝心の娘が直前になって仕事で帰れないと言う。いまさら帰らないなんて言うのもなんだと思って、一人でも帰ったのが良かった。

元旦の朝、目の前に拡がる一面の真っ白な雪景色。ここ何十年もないありがたい光景に、出会う。

きわめて暗示的だと思った。自身の問題も、ビジネスも、あるいは社会を取り巻く状況にとっても。すべてを一旦リセット。白紙に戻して観てごらん。そう告げているように思った瞬間、目の前がぱっと開けて明るくなった気がした。

まず一番に、政治の問題。だめだだめだと民主党を言っても、これに替わる自民党はもっとだめすぎ。この閉塞感を一旦白紙に戻して、現状を観てみると問題の本質が見えてきた。

「白紙に戻す」、「リセット」とは、目の前の大雪のように、とにもかくにも一旦すべてをなしにして、本来のあるべき姿、あるべき配置を考えること。

こう考えると、だめだだめだの民主党でもまだまだ可能性がある。もちろん、小沢ファンには大変残念なことですが、例えば民主党に小沢がいないとすればと言う条件付きでです。心を白紙にしてみて考えて、小沢の存在は今や明らかにガン化している。このガンが周りに次々と転移し始めた。今年の民主党は、このガン治療の成否が命運を決すると肝に銘じたほうがよい。治療が成功すれば、民主党政権はかつてない強靱な政権に変貌を遂げることができるでしょう。これこそ多くの国民が長い間待ち望んでいた、真の意味の民主主義政権の誕生です。

そして、肝心の経済問題。こちらは相も変わらず「一知半解」が続くけれど、久しぶりにエジケンがいいことを書いている。

ネオフィリアの生きる道

エジケンにとって「ネオフィリア」が自身を含めた経済活力の源と考えるに至ったと同じように、KAIはこのところずっとビジネスにおける「人間的成長」の意味を考えてきた。

これについても、あらためて真っ白な雪景色が教えてくれる。確かにデフレ不況と言う喫緊の課題と戦わなければと思うと気が重くなるけれど、私たちには20年に亘って積み上げてきた技術と人のネットワークが、すでにいまここにある。そしてこれを支えてきたのも、これからこれを支えていくのも、このネットワークに関わる人々すべての「人間的成長」であること。

この「人間的成長」の力こそが、世の中の成長の限界を説く「一知半解」の悪魔たちと戦うことができる。

今年は、「経済成長」から「人間成長」へをテーマとして、あらゆる経済活動に問いかける。それはどうすれば「人間成長」に繋がりますか?ってね。

もちろん、あらためての私たち自身への問いかけも欠かせません。人と技術のネットワークを今一度リセットして考えてみる。リセットは、「再配置」でもある。人と技術に、オフィスの再配置も含めて考える。

そして今年も週末テニス。2日の土曜は、田舎から東京への移動日。案の定の渋滞に巻き込まれ、朝8時に出て、東京に着いたのが夜の10時。延々14時間は、さすがに長かった。

3日、日曜。旅の疲れもなんのその。朝11時、狛江のコート集合。初打ちテニスの結果は、3-6、6-1、6-2、0-2と、2勝2敗の引き分けスタート。この引き分けが、今年の「人間成長」の予兆となるやいなや。楽しみは、これから。 KAI