一知半解の悪魔と戦う週末テニス

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今の状況を、まことに的確に記述する言葉に出会った。

一知半解

もちろん小沢一郎の憲法解釈のことですが、これだけではありません。需給ギャップ、デフレ、いまや世の中、「一知半解」だらけであります。

小沢の憲法解釈も、小沢自身が「国事行為にはない」と認めるお粗末さであったわけですが、小沢一郎を擁護した大方の民主党や支持者の方々はいかなる申し開きをなされるのか、その矜持の問われるところであります。

それにしても、自身の不勉強を棚にあげ記者や宮内庁長官までを恫喝する傲慢。天皇に対する不敬、無礼の数々。到底許容されるものではありません。

しかし、なぜここまで「傲慢」であり、「不敬」であるのか。

これこそ「一知半解」の怖さであり、負の力であると言うのが、今回のお話。

逆の話をしましょう。麻生さんが漢字の読みを間違えるのは、「半知一解」。もちろん麻生さんは漢字の意味は理解しているから、「一解」。

ところが世の中、手厳しい。別に読み方間違えたってどうってことないのに、まるで知性に欠けるかの言説がまかり通る。意味を理解していない「半解」の方が、よほど知性に劣るのは明らかなのに、これはいったいなぜ。

そうです。世の中、知識とは漢検を初めとしたクイズに成り果ててしまったのであります。意味は二の次、三の次。

この環境にあって、「一知半解」が不可思議な負の力をつけてきたのです。この理由は簡単であります。それはつまり、この環境たる意味を軽視する時代になったってことであり、これを麻生バッシングにみられるように、メディア自体の検証能力の喪失で説明することは、きわめて自明なことであります。

ですから、小沢の釈明会見でさえ、小沢の立憲君主制の勝手解釈に記者の誰一人も咎めることがないのであります。いまの世の中、いったいどうなってしまったのでありましょうか。社会全体が、「一知半解」人間にパワーを与えているとしか言いようがないのであります。

この風潮に異を唱えることを「正論」をはくといって忌むのも、これまた「一知半解」。どこまでいっても「一知半解」の続く、恐怖。

リアリティの喪失社会

ふと既視感に襲われて、検索したら出てきました。何度も何度も繰り返し書いてきたことであります。

「一知半解」の悪魔と戦うには、「行動」しかない。このエントリーに書いたとおりであります。

そして「行動」の、週末テニス。(って、こうくるか!?)

今週のキーワードは「タイブレーク」。タイブレークになる試合は、とにかく面白い。拮抗していて、最後の最後まで結果は分からない。このスリルがたまらなく、いい。

土曜、7-6(7-3)、6-2、1-4。日曜、7-6(7-5)、6-7(4-7)、1-3。タイブレークが3試合もあって、これに2勝1敗と勝ち越し。この1敗も、なんとコーチのシミズくんとペアを組んでの敗戦。こんなことも、起きてしまうから、だから面白いんです。

強いものがいつも勝つとは限らない。ここに不思議な作用が働いて、気の流れが大きく変わる。この潮目の変化と言うチャンスを、決して逃してはいけないのであります。 KAI