松井の、日本にいる時からのここ一番の勝負と言う時に期待に応えてくれない悪い癖が、今回はまったくでなかった。やっと野球人としての成長を遂げた結果だと思うけれど、これは今年春のWBC優勝以来のイチローの言動が彼を大きく変えるきっかけになったことは、間違いないとKAIは思う。
同様に、原もWBC優勝におけるイチローの活躍を目の当たりにして、優勝するためには、自身をも含めて選手の人間的成長以外にはないことを、激しく理解したに違いありません。
人が何事かを成し遂げようとするときに、それが成就するかいなかはその人の「人間的成長」にそのすべてがかかっていると、KAIはずっと信じてきました。
そしてこの「人間的成長」とは、結果としての「成長」ではなく、現在進行形の「成長」のことであって、「成長」し続けることこそ「人間的成長」と呼べるのです。
これを頭だけで理解することは、非常に難しい。松井も原も、この実践者であるイチローの、華々しい成功にではなく、WBCの不振に始まりシーズンをもだえ苦しむ姿の中に、「人間的成長」の本当の意味を見出すことができたのです。
翻って鳩山外交。一国を代表する政治家にとって、外交の成否は、その国を国家の繁栄と言う「優勝」に導くための最も重要な問題であります。
国連演説で初戦勝利したかのように見えましたが、これ以降、まったくの成果もなにもないすべて連戦連敗。(もちろんこの成果とは国益のことですから、負けるとは国益が失われるってことですね)
なぜ負けるのか。その理由が、さきほどの「人間的成長」にあると言うのが、今回の解題。
外交における「人間的成長」とはいったいなんであるかは、一旦置いておいて、松井や原がイチローの中に自らの「人間的成長」を見出したと同じように、鳩山にとって外交における「人間的成長」を具現化しているのが、イチローではなく(鳩山)一郎であることの問題であります。
鳩山一郎自身がいかなる外交を行ったかは、その筋の方の解説をお読みいただくとして、いわゆる「友愛」外交なるものの存在であり、それがいま生身の生きた人間ではない、遠い過去の「一郎」であることの問題なのです。つまり過去の人が相手ですから、これは結局過去の「一郎」の名を借りた自分自身、すなわち鳩山由紀夫その人の「友愛」外交にすぎないのであります。
野球の「イチロー」は、現実に目の前にいて具体的な日々の戦いの中で「人間的成長」を続け、最高の結果を出し続けている。決して頭の中で考えた理想の話ではなく、理想とは対極にある「現実」世界の具体性の極みとしての「人間的成長」の話であります。
これは、対する「友愛」外交には、まったく「現実」世界はなく、鳩山個人の「理想」世界しかないと言う、恐ろしい話に繋がってくるわけです。
外交が、きわめて「現実」世界であることは、あらためて申し上げるまでもありません。にもかかわらず、この外交の成否を左右する鳩山の「人間的成長」には現実的な何の裏付けもないと言うことであり、これはすなわち国家としてとんでもなく大きな「リスク」をかかえていることになります。
このところずっと感じてきた、この漠然とした「不安感」。いよいよ「恐怖」の現実となる日は、もうあなたのすぐ目の前に近づいている。
そして何の脈絡もなく、週末テニス。
しかし、こちらの「人間的成長」は着実に見えてきたようです。土日負けなしはひょっとして初めてかもしれない。土曜、7-5、6-1、6-3の3連勝。日曜、6-4、6-4、3-3の2勝1分け。
もちろん、これはテニスだけじゃなかった。ここには書けないけど、二つ、三つ大きく進展。乞うご期待。 KAI
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