20周年記念的週末テニス

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今週は、なにかと20周年の話題が続く。9日、ベルリンの壁崩壊記念、12日、平成天皇即位記念。そして来月12日は、私たちの会社の設立から20周年。

20年前、13年間勤務した前職の後始末と新会社設立のごたごたの中で、当時周りで何が起きていたか、今から思えばほとんど関心がなかったとしか思えないくらい、さっぱり記憶に残っていませんでした。

なるほど、思い出しました。1989年1月7日。昭和天皇崩御。翌8日、平成の元号を発表するあの小渕さん。そして昭和の終わりに呼応するかのように、この年ベルリンの壁が崩壊したのでした。

この20年前に始まった、平成と、「壁」の崩壊が象徴するグローバリズム経済の跋扈。そして私たちの会社。共通するキーワードは、オープン。開かれた皇室であり、ワールドワイドのオープンマーケット。私たちも社名も社是も、オープン。

そしてあれから20年、平成もグローバリズムも、私たちの会社も、いますべて大きな正念場を迎えているのは間違いありません。

それにしても、私たちの会社です。

このところのひらめきが、この私たちの20周年の意味を、なるほどそうだったのかと教えてくれる。なぜ20年もの歳月が必要だったのか。これがやっとわかりました。

人間的成長『笑い、感動、感謝、生き生きワクワクした気持ち、さらには、敬虔(けいけん)な祈り』の意識アプリケーション概念の拡張

これらすべてが、いま明確に繋がりました。

なるほど、このために20年と言う歳月を要したのかと。

これを一言で説明できるほどまでには、まだまったく消化できていませんが、私たちが志向したアプリケーションのサービス化と言うネットワークを拡大するために、このネットワークに参画するプログラマ、ユーザー、サポート、営業の、すべての人たちの「人間的成長」を待つしかなかったと言うことであります。

この「人間的成長」こそが、要だったのです。

しかも、プログラマやサポート、営業と言ったいわゆる「社内」の人たちだけではなく、ユーザーはもちろん、これからユーザーになるであろう人たちまでを含めた、ネットワークに参画するすべての人たちの「人間的成長」を待つしかなかった。

これにやっといま、世間が追いついてきたと言う他はありません。

しかし、それにしても長かった。しかもなぜ、ユーザーまでも含んだ「人間的成長」なのか。この意味がいまになってようやく理解できたのですが、サービス開始当初から、この事業の根幹がユーザーとの関係性にあることは気づいていました。これがいま霞が晴れるように、その意味が明らかになったのです。

ただ、これをうまく文章にできない。できないと言うか、いまこれを文章にしてしまうと頭のなかにあるものとまるで違うものになってしまうような気がするから、あえて文章にはしない。

そして、週末テニス。こちらは、とっくに20年は超えたけれど、このネットワークの「人間的成長」がこれを支えてきた。これが「生命の場」であるとも書いてきた。なるほどすべてがすべて、ここで繋がっているのでした。

土曜は、前線性の嵐。雨はそれほどでもなさそうだけれど、風が強くて、即行中止。もちろん砧公園1周は、欠かせません。

日曜、一転しての快晴。結果は、6-1、7-5、3-6、0-2の2勝2敗ながら、すこぶる快調。

あとは実践あるのみ。 KAI