英語圏の進化が、ことさらのように気になるのは、今に始まったことではない。恐らく明治の開国に始まり、第2次世界大戦でこっぴどくやられたあともずっと、日本社会は英語圏をキャッチアップすることしかなかったのです。
ところが、幸か不幸か1980年代以降この英語圏と言う目標を見失った。その結果として、実質マイナスGDPとなって表れているのが、今の日本と考えると、まるで世界が違って見えてくるのです。
インターネットは既存産業に破壊的なインパクトを及ぼすと同時に、利用者には圧倒的な利便性や生産性向上をもたらすものだ。私は勝手に「知の英語圏日本語圏問題」と呼んでいるのだが、世界語と化した英語の非対称性ゆえの構造問題と理解しつつも「これだけの知的興奮の可能性が英語の世界にしかもたらされないのか」と個人的には残念な気持ちが勝る。
「日本語で学べる環境」や「日本語による知の創造の基盤」の競争力をいかに維持するのか。ウェブ進化の恩恵を受けて新しい地平が拓(ひら)かれる英語圏を見つめながら、日本人として考えるべき課題は山積だなあと悩む昨今である。(うめだ もちお)
(【ウェブ立志篇】米ミューズ・アソシエイツ社長 梅田望夫 進化を遂げる英語圏)
梅田さんが残念がる必要はさらさらない。こんなことは過去100数十年何度も繰り返してきたことです。やっとしばらく見失っていた、英語圏をキャッチアップしなければならないと言う明確な目標が、日本のビジネスマンのあらたなる目標として、帰って来た。
このほうが、GDPをプラスに反転させる力に、目一杯効果があるのです。
そして、中山教授の論文が英語で書かれるからといって、これを英語圏の進化なんて誰も言わない。
人類の知の進化にとって、言語なんてまるで関係ないんです。
知は、言語にではなく、社会の中の大小関係ないネットワークの中にこそ育まれる。これを理解しなければ、ありもしない英語圏の進化などと言う「脅威」から、梅田さんは永遠に逃れることはできないのであります。 KAI
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