なにげない文章の中に、言珠の言葉と出会うことがある。
以前にもここに書いたことのあるお話ですが、KAIの大学浪人時代、住んでいた3畳もない予備校の寮の部屋に父が訪ねてきたことがある。高校生になった頃から長い間、父とは口を一言もきかなくなっていた。もうすぐ2回目の受験が始まろうとするこの時期に、突然父は訪ねてきた。年月のおもしろさは、個人の変貌にある。現代では人たちは長生きするから、約半世紀の後に再会を果たすこともあるが、半世紀の間には、私の内面もかなり変わったと自分では思う。堕落か遅すぎる成熟かはわからない。しかし私は人を裁く気持ちが減った。悪も善も、怠惰も勤勉も、すべておもしろがれるようになった。運命に動かされる人間の弱さは痛いほど知った。うやむやにすること・・・たぶんそれがお互いに許すことなのだろう・・・が、優しくて便利な方法であることも実感した。
それでも既に遅かった人もいる。晩年の最大の仕事は「許し」だとA・デーケン神父も言う。会うという行為は、お互いにさりげなく許しと愛を確認することなのだ。
(産経新聞、「小さな親切、大きなお世話」、さりげなく許しと愛を確認、曽野綾子、2009/10/23、p.1)
どの大学を受けるのかきかれて答えた以外何も話さないまま、近くに流れる賀茂川の、土手を走る道にあるバス停まで見送りに行った。来たバスに乗る父が振り返って、がんばれよと一言言った。そのバスを見送りながら、KAIは涙がとまらなかった。
「会うという行為は、お互いにさりげなく許しと愛を確認することなのだ」。当時はまだ、この言葉の意味を理解するには、KAIは若すぎたかもしれない。
それから30年たって、脳梗塞で倒れた父は京都東山にあるリハビリ施設にいた。倒れて以来8ヶ月ぶりにこの父を見舞いに行って、KAIは思った。「許してあげよう」。それからまた半年たって、父は亡くなった。
人と人との絆とは、会うこと以外にはない。電話やメールでは、これは絶対に叶えられない。
どうやら人は、毎日一つ屋根の下で暮らしていたり、こうして毎週末テニスしていると、会って一緒にいることの意味を忘れてしまうのかもしれません。
その幸せの、週末テニス。
「大気」の流れを感じて、充実。のはずが、なぜか土曜、3連敗。3-6、0-6、5-6と、最後のセット、ネモトくんと組んで圧倒的リードからの逆転負け。しかし、これもまた佳し。勝敗の結果は、もうどうでもよろしいのであります。
日曜テニスも、まったく同じ流れ。どうやら、ひとつもう一つ上のステージに上がれたのかも知れない。6-3、0-6、6-4、2-3と、結果は2勝2敗ながら、スコア関係なく、ことごとくが気持ちいい。
世の中、なんとかうまく廻りだしたようであります。 KAI
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