天気と景気と壁紙。なんの話か、種明かしは後にして、やっと天気が安定してきた。
暑くもなく寒くもなく、こうして気持ちのいい秋晴れが続くと、つくづく私たちの気分なんてお天気次第なんだと思ってしまう。
そして思うのが、最初にお天気があると言うこと。最初にお天気があって、このお天気の中で、私たちは生かされていると言うこと。もちろん、予知能力の問題はあるけれど、私たちはこのお天気を無条件で受け入れるしかない。と言うか、受け入れると言うより、お天気の中に溶け込んでいる、あるいはすべてが繋がっていると言うべきかもしれません。
自然治癒力と言う言葉がありますが、この自然とは何か。自然に治癒する力と解してしまうと、何か意味合いが違ってくる気がします。この自然とは、例えばこの「天気」と言う「自然」の治癒力と考えるべきではないのか。
すなわち、「天気」と言う「自然」には、最初から「治癒力」と言うポテンシャルが備わっていて、人をはじめとした生命は、このポテンシャルの中で生かされていることこそ、生命の本質ではないかと思うのです。
ですから、例えば「奇跡のりんご」が証明するような、農薬漬けの環境で育ちすでに自然治癒力を消失してしまったりんごを、無農薬の自然の山林の環境に帰してあげることにより自然治癒力が回復すると言うのは、話がまったく逆なのです。
農薬漬けの環境とは、元から自然治癒力と言うポテンシャルを消失した環境であるからして、当然のようにこの中にある生命体が治癒されることはないと言うのが、本当の話であります。
「天気」も同じこと。雨が降ろうが風が吹こうが、この「天気」が「自然」であることに変わりはありません。しかし、これが農薬漬けと同じように、エアコン漬けの自然の天気から隔絶すればするだけ、「自然治癒力」の喪失と言う迷路に迷い込んでいくことになる。あるいは、「自然」と思っている「天気」自体が、すでに中国から流れてくる硫酸やまさに言葉どおりの「農薬」漬けかもしれません。
そして「景気」。
当然のように「景気」とは、人為の所産であり「自然」とは違うと言うご意見もおありでしょうが、人為の及ばないのも「景気」であり、これはすなわち形を変えた「自然」であると言えます。
とすれば、「景気」そのものの中に自然治癒力があると考えても、なんらおかしくはないはず。不景気と言われる中でも、伸びていく企業こそ、「不景気」と言う「景気」の力によるものと考えると、不思議と力がむくむくと湧いてくるような気がするのです。
あと「壁紙」。もちろん、パソコンのデスクトップの画面のことですが、KAIのパソコンの画面は10数年ずっと、海辺の風景写真のまま。
この一番の理由が、飽きないこと。朝一番に開く、オフィスのパソコン。考えてみれば、この海辺の画面には仕事を始めることのできる不思議なエネルギーがあるのかもしれない。海辺と言う自然の風景には、人工物にはない何か大きな力を感じるのです。
つまりこれは、天気にも、景気にも、はたまた写真までにも、ある種の力があると言うこと。すなわちこれが「大気」の力なのです。私たちを大きく包み込む「大気」の中で、これが天気や景気あるいは写真を通して、私たち生命の力となって作用している。
ですから、私たちにとって重要なことは、この「大気」の力を常に意識し感じることであります。「生きている」ではなく「生かされている」と感じることです。
週末テニスも、この「大気」を感じる絶好の機会。
「大気」の流れを実感できる時は、まことに調子がいい。今週がまさにそれ。
結果は、土曜、6-3、0-6、4-6、0-1の1勝3敗ながら、ネモトくん相手に最高に気持ちいいテニスができる。日曜も、7-5、7-6(8-6)、1-3と2勝1敗。第2セットのタイブレーク。1-6とあと1ポイントで万事休すからの大逆転。
絶好のタイミングで、「大気」の流れを味方にできる。勝敗を決する、一番重要なポイントと言えます。 KAI
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