人のために何ができるか。
いま、母は、なぜこれを子に言わなくなってしまったのか。
「ひとというものは、ひとのために何かしてあげるために生まれてきたのス」
幼い宮澤賢治と添い寝するとき、いつも語りかけていたという、このことばほど、彼を象徴するものはない。人のために自分は何をできるのか。そう問い続けた賢治は昭和8(1933)年のきょう、37年の生涯を終える。
(宮澤賢治の母、イチ)
(中略)
さがし続けたものを、賢治は見つけることができたのだろうか。わからない。ただ、彼の最後のことばは、「ああ、いいきもちだ」−だった、という。
(産経新聞、次代への名言、宮澤賢治の母 イチ、2009/9/21、p.6)
この宮澤賢治の母が特別だと、思わない。「出産」と言う体験を通して、母は人が人に支えられて生きていることを否応なく教えられる。我が子にも「人のために」生きてほしいと願って、慣れない子育てを開始する。
しかし、たちまち「出産」と言う助け合い社会から一転、「子育て」と言う競争社会が立ちふさがる。競争社会とは、規範社会。競争社会の中で、子だけでなく、母もまた、母としての社会の「規範」を学ぶことになります。
それこそが最も重要な社会の「規範」、すなわち「助け合い」なのです。この「助け合い」と「競争」、一見両立しないかのように見えますが、そうではありません。
そして都市社会の構成員としてのあり方について、後藤はこんなことを言っています。
「まず我が身を修めるというほかはない。我が身を修める自治の力が治国平天下の基礎である。標題の「自助、互助、自制の精神」です。「人のお世話にならぬよう」が「自助の精神」。「人のお世話をするように」が「互助の精神」。「報いを求めぬよう」が「自制の精神」。
かねて私のいう自治の三訣(さんけつ)『人のお世話にならぬよう。人のお世話をするように。そして報いを求めぬよう』と少年時代から心がけてこれを実行するのであります」
(自助、互助、自制の精神)
後藤とは、政治家・後藤新平。「自助、互助、自制の精神」と言う規範があってこその競争社会。
冒頭の疑問の答えは、ここにあります。せっかく子を産み与え、子のために生きる喜びを教えた天の意志に背き、子を自己の所有物と勘違いする母。この母にとって、競争とは「自己」と言う自分自身の競争。「人のため」とはすなわち「自己のため」。まるで次元が違っている。
昔も今も、この母と賢治の母との間には、天と地ほどの開きがある。
つくづく、しみじみと、週末テニス。
さすがに秋分間近になると、暑さもひと段落して、絶好のテニス日和。
にもかかわらずの土曜。5連休初日のせいか、コートはガラガラ。誰もいない。なんとももったいないことであります。
ガラガラのコートで思う存分走りまくって、結果は、6-1、0-6、6-4、2-5の、2勝2敗。ネモトくんから貴重な1勝をゲット。少しネモトくんの攻略法が、見えてきたけど、それはここには書かない^^;。
このあとアンジェロ。こちらはコートとまったく逆。アベックと家族連れでテーブルは満席、カウンター席も3人で一杯。連休初日は近場で様子見、と言うことのようです。
そして日曜も、心地好いまでの秋晴れ。台風の風か強めの風も、まったく気にならない。肝心のテニス。ゲームをコントロールする感覚が少し戻ってきて、6-4、4-6、5-3と2勝1敗。
それにしても思うのは、毎回毎回、恐ろしいまでに変化する調子。ずっと同じ調子を維持しようとするのではなく、変化し続ける中で調子も変えていく。まさに福岡伸一の言う「動的平衡」の世界観(この話はまたあらためて書きます)。
アンジェロもまた同じ。昨日とうってかわって、閑散。みなさん、やっと連休お出かけのようです。 KAI
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