既得権にメスを入れないと、なぜダメなのか。今回の世界柔道男子メダルなしが、端的にこれを示しています。
棟田康幸。男子100kg超級、3回戦。ドルシュパラム(モンゴル)に後ろから襟首を掴まれたまま倒れこんで受身ができず左腕を脱臼。そのまま痛々しい中、4回目の指導で反則負け。
穴井隆将。男子100kg級、準々決勝でエルマル・ガシモフ(アゼルバイジャン)に隅落としで一本を取られる。隅落としなんて体のいい名前をつけているけれど、要するに力で振り回されて、これも柔道着を後ろから引っ張られて背中をつく。
二人とも、まるで柔道の型になっていない。しかし、いまやこれが世界柔道、「JUDO」の本質なのです。
彼は、気付きました。「柔道」と「JUDO」は違うと。日本柔道の不振は、日本柔道界の「柔道」から抜け出せない凝り固まった考え方に、その原因があることに石井は気付きます。2008年2月オーストリア国際で優勝はしたものの、これをいやと言うほど理解した石井は、オリンピックに向けて二つの特訓を開始します。
(ものごとの本質を理解すれば君は勝てる)
石井とは、石井慧。北京オリンピック、男子100kg超級の金メダリストです。彼は、北京オリンピックに向けて真剣に金メダルを目指します。
その一つは、レスリングや相撲の技を次々と取り入れているヨーロッパの「JUDO」対策です。それは一本による勝利ではなく、ポイントによる勝利と同義です。ポイントで勝っても勝ちは勝ちです。ヨーロッパの選手は、寝技に入る前のところからでも投げを打ってくるように、どんな体勢でも技を仕掛ける練習を積み重ねています。組み手ではなく、相撲のとったりのように足を取りに行く練習を、何度も何度も繰り返している。
(ものごとの本質を理解すれば君は勝てる)
そしてもう一つのトレーニング。
この持久力のために、後輩を肩に襟巻きのように横に担いで30分のマラソンを、オリンピックまで毎日繰り返す。尋常な努力ではないのであります。そのまま二つ目の特訓に繋がる話です。石井は、5分の試合時間に、ヨーロッパの選手が3分たって急にパワーが落ちることに気づきました。それなら自分は5分パワーを維持できれば、試合に勝てる。試合開始から3分後「石井ちゃんタイム」のスタートです。この時間に技を掛けに行く。すでに指導で1ポイントリードされている相手は、更に苦しくなる。まさに、1ポイントでも勝ちは勝ちの勝利です。
(ものごとの本質を理解すれば君は勝てる)
この彼の努力に、柔道界は、何を報いたか。よりにもよって石井を追い出してしまったのです。石井の無念が、手に取るようにわかります。しかし、神は見放さない。今回の世界柔道の結果こそ、日本柔道界と言う既得権者に対する「天誅」以外の何者でもありません。
いま柔道界が生き残るために、何ができるか。例えば石井慧を特別強化コーチに迎え入れるなんて、「既得権」からして、まったくあり得ないことであることは、簡単に理解できます。かように、「既得権」とは、強固にして堅牢なる存在であるのです。
この「既得権」を打ち破って、「柔道」を新しい「JUDO」に作り変えていくためには、あと何回かの世界選手権での惨めな敗退を繰り返すしかありません。
既得権者から見れば、「JUDO」は、正統である「柔道」の破壊者。しかし、「柔道」の進化形こそ「JUDO」です。棟田も穴井も、技を決められてもなお柔道着を強く引きつけ最後の最後までどんな体勢になっても切り返しの技を仕掛けてくる、型破りの「JUDO」に完敗したのです。「JUDO」にとっては「型破り」も「型」の一つ。これに「柔道」が対応できていない。
ここで注意が必要なのは、「既得権」問題とは、決して世間で言われる「既得権益」問題ではないと言うことです。つまり「既得権益」ではなく、「既得権力」です。これは、日本柔道界の問題を考えれば一目瞭然。「力」があってこその「既得権」であり、その「力」を失ってもなおその「権力」が維持される構造です。
とは言えこの「権力」、その実質的な「力」との間の乖離が大きくなりすぎては、やがては瓦解を免れません。
日本柔道界が、この変化に、いかなる対応ができるか。この山場は、2010年、東京開催の世界選手権。まさか主催国が2年連続メダルなしでは、面子もへったくれもなくなって、役員総入れ替えするしかなくなる。ここで初めて改革が始まる。そう言うことであります。 KAI
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