立秋になぜ人は本を読むのか

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真夏の気分を味わうまもなく、もう立秋である。

1年時計の午後3時。午後6時の秋分の日まであとわずか。そう思って車を運転しながら見上げる目の前の空も秋の雲。空気もこころなしか秋の色。

この「1年時計」、昔こんなことを書いています。

四季を持つ私たちは、知らず知らずのうちにこの1年時計を身体に刻んで生きています。朝が来れば目覚め、食事をし、働き、また夜になれば眠るのと同じように、これを1年単位で繰り返して歳を重ねていく。つまり1日のリズムがあるのと同じように、1年のリズムがあって、その季節季節に合わせて身体も心も変化している。
寒い一日

この季節に合わせた身体の変化は、昨年、一昨年と決して同じ繰り返しではない。1年1年と言う年輪を重ねるように、身体の節々に齢を重ねていきます。同様にまた、心も季節季節に合わせて変化し、心の年輪を重ねていく。

「立秋」と言う身体と心の年輪とは。

それは、動から静、昇りから降り、成長から停滞、その転換点といえます。すなわちこの変化のスピードが落ちることで、年輪と言う密なる軌跡を残すことになる。この始まりの境目こそ「立秋」なのです。

生命に成長が不可欠なように、経済と言う人間社会にも成長は不可欠であり、しかし、これは必ず成長の後に停滞を伴う。この停滞、衰退を持って成長に疑義を唱えることは勝手だけれども、成長と生命が同義であることを忘れてはいけない。

これはすなわち、循環としての衰退と年輪としての停滞の違いでもあります。

分かりやすく言えば、来年の成長のために英気を養う、身体と心の栄養の蓄積モードに突入したと言えばいいでしょうか。

そう言う意味で、読書の秋、食欲の秋とは、よくいったものです。

リビングサービス(日経BP社、マーク シルベスター (著), モヒ アメッド (著), 斎藤 潔(日本語版監修)、2009/07)

学校の勉強だけではメシは食えない!(こう書房、岡野雅行、2007/11/10)

パターン、Wiki、XP(技術評論社、江渡浩一郎、2009/7/10 )

世界は分けてもわからない(講談社、福岡伸一、2009/7/17)

さきほど買ってきたこの本に、うえからかぶりつき。この幸せをなんと表現すればいいものでしょうか。 KAI