名前には命がある

  • 投稿日:
  • by

shi3zの日記で極推奨されていたまつもとゆきひろ コードの世界(日経BP出版センター、まつもとゆきひろ、2009/5/21)をアマゾンで注文したのが、2週間前。

これがやっと届いて、一気読み。

面白かった。久々に、「コードの世界」に浸って、知的刺激をうけまくり。shi3zくんの書くとおり、これからプログラマを目指す人を含めてすべてのプログラマ必読の書であることは間違いない。さっそくもう1冊買ってプログラマを目指す長男にプレゼントすることにする(親バカだよね)。

それにしても、このmatzことまつもとゆきひろのセンスは、抜群です。

 さて、この信仰はある程度真実ではないかと感じることがあります。つまり、事物の名前には、理屈では説明しきれない不思議なパワーがあるような気がするのです。
 例えば、本章で解説したAjaxもそのひとつです。(中略)
 私には、このAjaxの成功の原因が、単なる技術の組み合わせに魅力ある名前をつけることができたことにあるのではないかという気がしてならないのです。名前は本当に重要です。
(中略)
 そんなこともあって、私の設計上の座右の銘は「名前重要」です。あらゆる機能をデザインする時に、私はその名前にもっともこだわります。プログラマとしてのキャリアの中で、適切な名前をつけることができた機能は成功し、そうでない機能については後で後悔することが多かったように思うからです。
(中略)
 これはつまりこういうことなのではないかと思います。適切な名前をつけられると言うことは、その機能が正しく設計されているということで、逆にふさわしい名前がつけられないということは、その機能が果たすべき役割が自分自身でも十分理解できていないということなのではないでしょうか。個人的には適切な名前をつけることができた機能については、その設計の8割が完成したと考えても言い過ぎでないことが多いように思います。
(名前重要、p.150)

これとまったく同じ経験と思考のプロセスを歩んできたKAIは、この記述を読んでうちふるえました。

昔取った杵柄、プログラミングにおいてはもちろんのこと、いまの私たちの会社の名前、開発した製品の名前、そのサービスの名前、おまけに3人の子どもたちの名前、これらひとつひとつの名前にはそれぞれの名前へのKAIの思いとこだわりのすべてが込められているのです。

例えば「オープン」。

日本で初めてこの「オープン」を社名にしました。もちろんドメイン名も「open」であり、商標も「open」で登録されています。起業当時、IBMのOSF(オープンソフトウェアファンデーション)がありオフィスにもよく間違い電話がかかってきましたが、社名の「オープン」の由来はOSFとはまったく違うところにあります。

それは、実はKAI自身の名前に由来しているのです。自分の名前を命名した亡き父の思いは、今更知る由もありませんが、昔から英語で自分の名前を「ウォームハーティッドマン」と紹介していました。「ウォームハーティッドマン」すなわち「オープンマインド」だと。

中学生になって入った新聞部で使い始めたペンネームの「KAI」は、漢字で書けば「開」。これもまた「オープン」。

そして初めて自分で考案した設計技法の名前を「オープンチャート」と命名したのが、起業する10年前。その後いよいよ創業のとき。IBMの汎用機を中心とした閉鎖的なソフトウェアからの脱却を目指して、「オープンソフトウェア」と命名したのです。

さらには、閉鎖社会の象徴、江戸幕府を開国に導く使者となった「ペリー」をアプリケーションの名前にし、開国した新たなる国、新大陸を「アナザーランド」と命名し、今に至るのです。(もちろん3人の子どもたちの名前にも、これに負けずおとらずの歴史があるのですが割愛^^;)

まさに、人生は歴史です。名前の歴史であり、この名前にこだわり続ける人生こそ、人生の本質です。成長と共に名前を変える魚や、元服の名前、名は体を現すの例を出すまでもなく、人生がこの名前と共にあることを理解することは、きわめて重要です。

そしてさらに重要なことは、名前が先であること。matzも書くように「適切な名前をつけることができた機能については、その設計の8割が完成」とは、すなわち名前が先だと言うことです。この先にある名前がその実体に命を吹き込んで、また名前自体が命をもつようになる。そう言うことであります。 KAI