智力は体力をカバーできるか

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伊達公子、今年39歳になる、アラフォー真っ盛りの女の挑戦。

今週開幕のウィンブルドン、いきなり第一ラウンドから、カロライン・ウォズニアッキ、デンマーク人、18歳ながら第9シードとの戦い。年齢差、ダブルスコア以上。

ウィンブルドンのウェアは、白が決まり。両肩に3本の朱のストライプは、まるで雌豹のような18歳。

この彼女に、せっかく第一セットを取りながら、セカンドセット、突然伊達のペースに異変が。突然足が止まる。追いつけない分をスライスで返せば返すほど、雌豹ペースになる。結局、7-5、3-6、1-6と逆転を許す結果になる。

この敗戦を観ながら、つくづく思った。

年齢により獲得される智は、年齢とトレードオフで失われる体力の裏づけがなければ、まったく無力である。なるほどねえ。うまいことできてるわ。

体力はあるけれど、智力がない。智力はあるけれど、体力がない。この二つのバランスの中で、最高のパフォーマンスを発揮するしかない。

これは、テニスだけのことではない。

人生と言う、人の生き方そのものにも通ずる話だと、思う。

人生の体力は、気力であり夢を持つ力。人は、歳を取るとともに、これをなくしていく。一方で歳を重ねるたびに、こうすればよかったはずの、自分の人生が見えてくる。

この意味で、伊達は、試合には負けたけれど、人生と言うゲームでは決して負けてはいない。世界へ再び挑戦する、気力、夢を持ち続けることのできる類いまれなる、人生のベストプレーヤー。伊達、がんばれ! KAI