蛆の光と壁と卵

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外国の賞に一喜一憂も大人気ないと、最初は思っていたアカデミー賞。しかし、映画「おくりびと」誕生の話を読んで、自らの狭量さにただただ恥じ入るばかりです。

 日本作品として初めてアカデミー賞外国語映画賞を受賞した「おくりびと」(滝田洋二郎監督)。作品が生まれたきっかけは16年前、「納棺夫日記」を自費出版した富山市の作家、青木新門(しんもん)さん(71)のもとに、主演の本木雅弘さんからかかった一本の電話だった。

 納棺夫日記は、大学中退後、居酒屋経営を経て納棺夫になった青木さんが自らの体験をつづった小説。今では文庫化(文春文庫)され計約20万部のベストセラーだが、93年に同市の地方出版社「桂書房」から出した当時、初版はわずか2500部だった。

 間もなく、本木さんから電話があった。「インド・ベナレスの旅行記に一文を引用させてほしい」。青木さんは申し出を快諾した。送られてきた本を開くと、ガンジス川の岸辺で送り火を手にする本木さんの写真があった。そこに死後何カ月も放置された独り暮らしの老人を納棺した時のことを描いた文章が添えられていた。

 「蛆(うじ)も生命(いのち)なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた」。本木さんの深い理解に心を打たれた。
アカデミー賞:外国語映画賞に「おくりびと」 命の光、オスカーに−−青木新門さん

この青木新門さんの文章がこれ。

 私には、ひょんなことから葬儀社に勤め、お棺に死体を納める湯棺・納棺の仕事を専業としていた季節がありました。社内では「納棺専従社員」と云われ、世間では「納棺夫」と云われていました。
 そんなある日、一人暮らしの老人が死んで、蛆に食い尽くされた死体を処理したことがありました。最初はどきっとしましたが、部屋中に這い出した蛆を箒ではき集めているうちに一匹一匹の蛆が鮮明に見えてきたのです。蛆が捕わわれまいと必死に逃げているのです。蛆も<いのち>なのだと気づきました。すると蛆たちが光って見えたのです。
 その家から外へ出ると目にするあらゆるものが光輝いて見えるのでした。
 それからは納棺をしていても、死者たちの顔が安らかで美しいと思うようになっていました。するといつの間にか、死体に対しての嫌悪感がなくなっていたのです。特に死後間もない死者は、柔和な美しい顔をしていて、なかには微光が漂っているような感じさえするのでした。そんな死者たちの微光に導かれるように仏教に出遇ったのでした。
 仏典に次のような仏語がありました。

 「 諸天、人民、蠕動の類、わが名を聞きて、みなことごとく勇躍せんもの、わが国に来生せん。しからずば作仏せじ」 ーここでのわが国とは浄土のこと

 蠕動とはウジ虫のことです。その蛆虫も浄土に生まれ変われるものとして神々や人間と同じように平等に扱われている!!
 親族からは「親族の恥」と罵倒され、世間からは「納棺夫」と白眼視されているうちに、自分を自分で卑下してウジ虫より劣ると隠れるように生きていた私は、蛆が光って見えるという不思議な体験とこの仏語に出遇って新しく生まれ変ることができたのでした。
 そして 仏教が説く「一切衆生悉有仏性」とはあらゆる生きとし生けるものに仏性、即ち<いのちの光>があって、それは仏の光であることを知って、うれしくなって著したのが「納棺夫日記」でした。
蛆の光

あえて全文引用しましたが、言珠にあふれたこの文章から、1行とて外すことはできません。

そしてこの文章を読んでいるうちに、これもまたシンクロニシティ、不思議なことに、つい先日読んだウチダ先生の文章を思い出した。

「私が小説を書く目的はただ一つです。それはひとつひとつの命をすくい上げ、それに光を当てることです。物語の目的は警鐘を鳴らすことです、『システム』にサーチライトを向けることです。『システム』が私たちのいのちを蜘蛛の巣に絡め取り、それを枯渇させるのを防ぐために。」

I truly believe it is the novelist’s job to keep trying to clarify the uniqueness of each individual soul by writing stories—stories of life and death, stories of love, stories that make people cry and quake with fear and shake with laughter.
This is why we go on, day after day, concocting fictions with utter seriousness.

「小説家の仕事とは、ひとりひとりの命のかけがえのなさを物語を書くことを通じて明らかにしようとすることだと私は確信しています。生と死の物語、愛の物語、人々を涙ぐませ、ときには恐怖で震え上がらせ、また爆笑させるような物語を書くことによって。
そのために私たちは毎日完全な真剣さをもって作り話をでっち上げているのです。」

そして、唐突に村上春樹は彼がこれまで小説でもエッセイでも、ほとんど言及したことのなかった父親について語り始める。

My father passed away last year at the age of ninety.
He was a retired teacher and a part-time Buddhist priest.
When he was in graduate school in Kyoto, he was drafted into the army and sent to fight in China.
As a child born after the war, I used to see him every morning before breakfast offering up long, deeply-felt prayers at the small Buddhist altar in our house.
One time I asked him why he did this, and he told me he was praying for the people who had died in the battlefield.
He was praying for all the people who died, he said, both ally and enemy alike.
Staring at his back as he knelt at the altar, I seemed to feel the shadow of death hovering around him.

「私の父は昨年、90歳で死にました。父は引退した教師で、パートタイムの僧侶でした。京都の大学院生だったときに父は徴兵されて、中国の戦場に送られました。戦後生まれの子どもである私は、父が朝食前に家の小さな仏壇の前で、長く、深い思いを込めて読経する姿をよく見ました。
ある時、私は父になぜ祈るのかを尋ねました。戦場で死んだ人々のために祈っているのだと父は私に教えました。
父は、すべての死者のために、敵であろうと味方であろうと変わりなく祈っていました。
父が仏壇のに座して祈っている姿を見ているときに、私は父のまわりに死の影が漂っているのを感じたように思います。」

My father died, and with him he took his memories, memories that I can never know. But the presence of death that lurked about him remains in my own memory. It is one of the few things I carry on from him, and one of the most important.

「父は死に、父は自分とともにその記憶を、私が決して知ることのできない記憶を持ち去りました。しかし、父のまわりにわだかまっていた死の存在は私の記憶にとどまっています。これは私が父について話すことのできるわずかな、そしてもっとも重要なことの一つです。」
壁と卵(つづき)

例の村上春樹のスピーチのお話です。

ここにも『ひとつひとつの命をすくい上げ、それに光を当てること』、『父のまわりにわだかまっていた死の存在』と「蛆の光」と共通のテーマで語られていたのでした。

仏典の言葉、蛆の光、映画「おくりびと」、村上春樹。これらを強く貫く「命の光」。そしてこの「命の光」の恐ろしいまでのチカラ。また一つKAIにとってきわめて重要な研究テーマが、見えてきました。 KAI