いまさら二宮尊徳と言うなかれ−天地人の恵み

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天の恵み、地の恵み、人の恵み

戦後、道徳教育否定の弊害ここに極まれり。規範喪失社会にあってKAI自身、二宮尊徳と言う人物についてよく理解していなかったことは、なんとも恥じ入るばかりです。

 尊徳17歳の貴重な体験が家々で植え余った捨て苗をもらい、空き地に植え丹念に育て一俵の米を収穫したことである。尊徳はこう思った。世間的には最も恵まれぬと思われるわが身の上にも、天と地と人の恵みがあり一俵のお米が得られた。いかなる人間も太陽に象徴される天の恵み、地と人の恵みによって生かされていることへの深い感動と悦びに満ちた体験であった。
 尊徳はこの恵みを徳と呼び、人は天地人の徳によって生かされているのだから、徳に報いることが人間の道の根本であると知ったのである。
(産経新聞、元気のでる歴史人物講座、二宮尊徳17歳の貴重な体験、日本政策研究センター主任研究員岡田幹彦、2009/2/4、p.26)

1804年尊徳17歳。相模国足柄上郡栢山村(現在の神奈川県小田原市栢山(かやま))に百姓利右衛門の長男として生まれた尊徳は、すでに14歳で父利右衛門を、2年後には母よしを病気で失い、ついには二人の弟とも別れ、伯父二宮万兵衛の家に預けられていたときです。

「いかなる人間も太陽に象徴される天の恵み、地と人の恵みによって生かされている」こと。これを、人が若いうちに知ることは、きわめて重要なことです。それは、このことを知っているのと知らないでいるのとでは、その人のその後の人生を大きく左右するからです。

9歳で丁稚奉公に出され両親とも死別し尊徳と似た境遇にあった松下幸之助も、これをもっとも良く理解していました。

先日から産経新聞に作家の北康利氏が、松下幸之助と歩む旅「同行二人」と題する連載を書いています。

 丁稚時代の経験から、幸之助は多くのことを学んだ。
 そば近くで仕えた岩井虔(いわいけん現PHP研究所参与)が、ある時、幸之助に「商人の道」を尋ねたところ、大事なことは三つあると教えられたそうだ。一つは「商売の意義がわかっていること」、次に「お客様の心が読めること」、そして「相手より頭が下がっていること」。
 幸之助のお辞儀は、ただ頭を下げるという類のものではない。それこそ顔が膝小僧につくほど深々と頭を下げるのだ。
 それだけではない。お客が帰る際には相手の姿が見えなくなるまで見送る。そして見えなくなる寸前、最後にもう一度心をこめて深々と礼をした。それはお客に対してだけではない。記者などに取材を受けた際も同様だったという。
(中略)
 また商売の厳しさについてはこう教えられたという。「幸吉っとん、これだけはよう覚えとけ。商人が一人前になるには、小便が赤くなる、つまり小便に血が混じるようなことがいっぺんやにへんないと一人前にはなれんのや」
 苦労せずしてもうけることができるほど商いの道は甘くないことを、こうして彼は叩きこまれた。
(産経新聞、同行二人(どうぎょうににん)第3回、北康利、2007/9/18、p.23)

松下幸之助の言葉(6)
この幸之助が説く「商人の道」は、そのまま尊徳の「天地人の徳」に通ずるものです。すなわち、「商売の意義」が「天の恵み」、「お客様の心」が「地の恵み」、「頭を下げる」が「人の恵み」です。商人にとって、天とは商売の道理であり、地とはお客様であり、人とは従業員をはじめ商売を支えてくれるすべての人々のことです。天地人、それぞれの恵みを得て初めて商売は成り立つ。それぞれの恵みに報いることこそ、商売の王道なり。肝に銘じます。 KAI