福田首相の退陣表明は、世間やマスコミが何と言おうと、KAI的には「見事」としか言いようがない。
このまま候補者乱立の総裁選で、マスコミの注目を一点に集め、そのまま、新首相誕生、臨時国会冒頭での解散、総選挙突入の流れは、規模こそ一回り二回り下回るけれど米国の大統領選挙の民主党、共和党の候補者指名争いを彷彿させる流れです。
こんなこと「中曽根くん」言ってますけど、「厳粛」さは個人に求めるべきものではありません。「厳粛」とは「制度」そのものの中にあるのですから、戦後の変わらない「制度」の中にあって、「われわれの時代と比べ、首相の地位が軽くなってしまった」なんてことはまったくなくて、もとから軽かったのです。首相の出処進退は、国民が納得するラインで、ある意味において厳粛でなければならない。国政の重大さ、対外的な重さがあるからだ。われわれの時代と比べ、首相の地位が軽くなってしまった感は否めない。
(中略)
自民党総裁選で、次期首相(新総裁)が選ばれるが、麻生太郎君(自民党幹事長)がなるにせよ、誰がなるにせよ、次期首相は日本の歴史や伝統をわきまえ、冷厳に社会や世界を見つめて、きついことを直言する人を傍らに置く必要がある。今の政治家は、テレビのワイドショー的なパフォーマンスで生きているだけになおさらだ。首相になって初めて分かるものだが、政治とはそんなに軽いものではないからだ。わたしは京都学派の猪木正道さん(政治学者)や高坂正堯さん(国際政治学者)らとよく話し合った。座禅を通じて無言の教えも受けてきた。
衆院選は、次期首相と小沢一郎民主党代表の党首の戦いだ。自民党は総裁選で、小沢君に負けないトップを選ばなくてはならない。
(【首相退陣に寄せて】元首相・中曽根康弘 政治は軽いものではない)
もちろん、「密室政治」が「厳粛」と言うなら、こうした米国型の候補者選びが「厳粛」でなくなったのは事実ですが、本来の「制度」そのものは「密室政治」なんか許してはいません。
誰が考えたか知りませんが、手負いの自民党が小沢民主に選挙で勝つ方法が、米国の大統領選挙にヒントを得て、無選挙で埋没する民主を一挙に攻め上げる作戦と言うのは、うまく行くかもしれないと言う期待感一杯の「見事」な作戦であります。
しかも候補者が乱立することで、最終的な決選投票でどちらにつくか状況を見ながら判断できると言う、候補者自身のメリットもあります。
いずれにせよ、総選挙で与党が過半数を取りさえすれば、世論は与党にあることになり、参議院とのねじれは解消されないにせよ、参議院の野党による多数の横暴の理がなくなることは明白です。
「政治とはそんなに軽いものではない」とKAIもそう思いますが、それは「きついことを直言する」ようなスタッフの存在とはまったく無関係に、「きついことを直言する」世論がそのまま政治に反映できる「軽い」政治制度があって初めて実現できるものだと、KAIは考えます。 KAI
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