初代NTT社長を務めた真藤恒は、やはりただものではなかった。
「事業の根幹である電子交換機が故障した時、自分たちの手で直せないのはおかしい。交換機用ソフトウエアの開発をコンピューターメーカーに丸投げしているからだ。石井君、どうだ。自分たちで直せるように、ソフトウエアを内製してみないか」
日本電信電話公社(当時)の真藤恒総裁は私を呼びつけるや否や、こうまくし立てました。
(中略)よく聞いてみると、交換機の修理うんぬんはきっかけに過ぎず、真意は「これから社会のあらゆるところにコンピューターが浸透し、社会そのものが“ソフトウエアオリエンテッド”になる。その時に備え、高品質で高い信頼性を持つソフトウエアを開発する力をNTTの中に蓄えておきたい」ということだったのです。
(日経ビジネス、有訓無訓、ソフトウエアは生命線 利用者が内製し管理せよ、石井孝(いしいこう、元NTT常務通信ソフトウエア本部長)、2008/7/21、p.1)
真藤恒と言う人物の気を浴びることによって、石井孝もまた、ものごとの本質に目覚めることになります。
ソフトウエアの内製化は取り組んでみると大変な難業でしたが、真藤氏の後押しもあって、丸5年後には交換機ソフトウエアを自力で開発し、直していける体制を築けました。悪戦苦闘を通じて体感したのは、「ソフトウエアは成長を続ける生き物であり、その成長をきちんと管理しなければならない」ということです。
いったん開発を終え、ソフトウエアを使い始めると、次々に機能追加や修正作業が発生します。この作業を続けていくと便利になる一方で、ソフトウエアはいつの間にか増殖し、気がつくとソフトウエアがすべてを支配してしまい、それなしでは仕事ができない状態になってしまう。従って、秩序ある成長ができるように管理することが肝要です。最初の開発は手始めに過ぎず、使い出してからが本番なのです。
ソフトウェアを極めると、ソフトウェアの本質、すなわちソフトウェアは生き物であることが見えてきます。この話はここに何度も書いてきた、KAIにとって非常に重要なメインテーマです。
進化を止めたとき それは老化の始まりであるの中でも、こんなことを書いています。
分野は違うけれど同じことを、ITの世界でも元鉄道総研初代理事長尾関雅則が言ってます。
システムは、最初の使用開始から後でも、その機能に対する要求は質量ともに、絶えず、拡張変更を求められるのが、常です。裏返していえば、システムは周りの環境から影響を受けながら、絶えず成長してゆかなければならない、宿命をせおっているとも言えるのです。これは、まさにシステムの性格が、生物的である証左ではないでしょうか。人間の脳の創造物であるテーマパークシステムも、アプリケーションシステムも、すべて生き物である人間の相似形に過ぎません。
(システムは生物のように成長するもの)
全然話が変わりますが、世の中、ブラックベリーとiPhoneをいちごとりんごの戦争と面白おかしく取り上げていますが、いくらドコモがブラックベリーを発売しても、行列どころか1台も売れないのは目に見えています。
この理由も、実はソフトウェアが生き物であることと深く関わっているのです。
結論を先に言ってしまえば、ブラックベリーはハードウェアであり、iPhoneはソフトウェアであるからです。
iPhoneの行列は、iPhoneと言うマシン買うために並んだのではありません。iPhoneと言うマシンで動くソフトウェアに可能性と言う不可思議な魅力を感じたからに他なりません。これはパソコンの黎明期とまったく同じであり、Windows95の発売時ともまったく同じであることを理解すべきです。
人々は、すでに電話と言うハードウェアに期待するものを持ち合わせてはいません。電話にワンセグがあるじゃないかといっても、それは所詮、電話と言うハードウェア。ブラックベリーがこのドグマから抜け出せていないのは明らかです。
対するiPhone。
ペットのコジマに行って、子犬を手に入れる。
これと同じ感覚であることに気づいて欲しい。買ってきた子犬とじゃれあう楽しみ。最高の時間です。
この子犬が成長するのと同じように、iPhoneも成長していく。iPhone対応のソフトウェアが次から次へと供給され、かつ、それぞれがインターネットを介して成長し始める。
たまごっち、なんてものがありましたよね。
iPhoneこそ究極のハイパーたまごっちなのです。お分かり? KAI
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