首なし人間は歩く「考える人」だった

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早朝の散歩。ようやく日の出で明るくなり始めたかむろ坂を上がっていくと、坂の上の方から一人の背広姿の人間がこちらに向かっておりてくる。桜並木の青葉の陰が暗がりになってよく見えない。

何度も目をこするけれど、この人間どうみても首がない。

どきどきしながら、だんだんと近づいてくる。こんな時期のしかも早朝の怪談なんてと思いながら、目をこらす。

目の前まで近づいてやっとわかった。ちょうどロダンの「考える人」のように肘を脇腹にあてた左手で斜め横に直角に曲げた首を支えていたのでした。これを遠くから見るとほんとに首無しに見える。

これで一気に現実にかえる。

今のKAIの心象風景ではないかと思い、これを拭い去るようにぶるぶると顔を振った。

今、この首なしコミュニケーション不全に毎日悩まされている。首なしコミュニケーションの首とは、目の前のコミュニケーションの相手、そのものです。この相手を中心にしたコミュニケーションしか、かつて経験したことがなかったのです。

これがここにきて、この相手が突如不在、すなわち首なしになる。当然今までの約束が反故になる。

やりきれません。

しかし話は変わって目の前の岡田ジャパン。こいつら全員シケイ。なんでおまえら国歌を唄わないのか。確かに口をあわせる選手はいたけれど、誰一人声を上げて唄ったものはいなかった。岡田にしてしかり。何をかいわんやです。なぜ国家の資格で参加できていることが、理解できないのか。

平和ボケに天誅あらんことを。 KAI