私塾の思い出

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梅田さんの私塾のすすめは、まったく意識外にあったのですが、前回のエントリーを書いて、高校生のころ通っていた私塾を思い出した。KAIもまたこの私塾で人生多大なる影響を受けた一人であることに、思い至ったのであります。

彼の名前はオハラ先生。朝寝朝酒朝湯が大好きなオハラショウスケさんではなく、当時高等学校の校長職退任後、高専の教授でした。

先生の授業の合間に、先生の書いた関孝和の和算に関する論文を読んだり、週1回の授業は毎回が楽しみでした。

その経験の中で一番強烈であったのが、現役で大学受験を間近に控え、先生の最後の授業でした。突然ズボンのベルトを外せと言われ言われるままにズボンを下ろすと、先生は突然KAIのパンツの中に手をいれ玉袋を握るのでした。そして握りながら、これなら大丈夫、自信を持て、と言ったのでした。

あまりの突然の出来事で、言葉もありません。このあとこの出来事を誰に言うこともできないまま、受験に臨むことになります。

そして受験当日、試験中にもかかわらず、あの出来事が頭から離れなかったのです。そして受験直前の旺文社模試30万人中100番前後であった得意中の得意であった数学の解答に、致命的なミスをおかし、受験に失敗することになるのでした。

オハラグリップが原因であることを言い立てるために、このエントリーを書いているわけではありません。世間知らずの高校生が、これから世間と言う大海の荒波の中の船出にあたって、オハラグリップは間違いなく碇こそここにありを教えてくれたのでした。以来、根性をすえて事に当たるときは、かならずオハラグリップをリアルにシミュレーションするのでした(わかりにくい書き方ですまない^^;)。

あの時のオハラ先生は、ガンの手術を間近に控えていて、ひょっとすると今生の別れになるやもとの思いがあったのでしょう。幸い良性のガンで命には別条無かったとのことでしたが、この先生の手術のこと、あの出来事と、先生には師弟の関係を超えた、人の命のかかわるところで接していただいたとの思いがあります。

二十歳までに、こう言う人と人との関わり方を経験できたことは、KAIにとってとてつもなく大きな財産になったと思います。

人を信頼する、される関係とは、こう言う人の命のレベルの問題であることを、あらためて思い出したのでした。 KAI