君はいま何に胸を張れるのか

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産経新聞のきょうの言葉から。

不義而富且貴 於我如浮雲 孔子 
(不義にして富みかつ貴きは、 我において浮雲のごとし)

 中国の思想家、孔子の言行録「論語」の「述而編」から。不義とは、人の道にはずれた行いのこと。悪いことをしてお金持ちになったり、地位が上がったとしても、それは浮雲のような実のないことであるという意味。
(産経新聞、きょうの言葉、2008/4/17、p.3)

今の若い人たちに聞かせたい言葉ではない。次から次と不正を働く高級官僚や天下り役人たちにこれを言い聞かせなければならないとは、情けない世の中になったもんだ。

若い人たちにはぜひとも、人に喜んでもらえることを、人生の絶対の価値としていただきたい。たとえ目の前のたった一人の人のためであっても、全然かまわない。自分のためではなく、他人のために勉強をし、働き、仕事をする。

お金儲けに勤しんでも全然かまわない。それが自分のためではなく、人のためであるならば。

人のために勉強するって、わからないと思うかもしれない。それは君を学校に通わせてくれている両親のために勉強すると言うことだよ。ちょっと前まで、親の期待にこたえるために勉強するのではない、自分自身のために勉学はあるんだと、教師が盛んに言っていた時代があったけれど、実は世の中がこんな情けないことになった原因は、すべてここにあるとKAIは思っている。

なぜ両親のために勉学に励んではいけないのか。

なぜ親に喜んでもらいたいから良い仕事につきたいと思ってはいけないのか。

全然かまわない。

一生懸命君の進路指導をしてくれて、君の学力向上の手助けをしてくれている先生のために、受験をがんばる。当たり前のことじゃないか。自分を応援してくれている人たちのために、その期待に応えようとして、必死で努力して結果を出す。

もちろんこれでうまくいかないこともある。しかし誰も君の事を責める人は、いないよ。よく頑張ったとみな君の事を誇りに思うだけだよ。

お金儲けがへたくそな人も、おんなじ。

一生懸命、人のためにお金儲けしようとして努力する限り、今までうまくいってないことを嘆いてはいけない。人のためにお金儲けすることは、決して容易なことではない。難しいことに挑戦して努力することを、くりかえし、くりかえさない限り、お金儲けなんかできないもんだ。

これが自分のためと言う不義あるいは安易に手に入った結果、幸せになったと言う話をKAIは聞いたことがない。

あらためて問う、君はいま何に胸を張れるのか。

たった一つでも、たった一人のためでもかまわない。君が人のために、いま努力しているのなら、堂々と胸を張ってそのやっていることをKAIに教えて欲しい。 KAI