笑いの研究の中に本質があった

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人はなぜ笑うのか。

ぐぐっていたらまたまた永井俊哉ドットコムにたどり着いてしまった。

私たち人間は、しばしば、たわいもない冗談を言っては、口を横に広げ、腹筋を収縮させながら「あっはっはっはっ」と断続的な呼気を発する。この奇妙な動作は、生物としてのヒトが生きていくうえで何の役にも立っていないように見えるのだが、一体なぜ、何のために私たちは笑うのだろうか。
人はなぜ笑うのか

最近笑えなくなってしまった原因を探るために、逆になぜ人は笑うのか、これを考え中にこのページを読んでわかったこと。人は快によって笑うこと、快とは落差であり、微小な快を得ることによる微笑み、そのネガティブな快である不快を無化するための苦笑い、想定との落差が生む破顔一笑。

子犬同様、若いころは箸が転んでも笑うと言うくらい、ありとあらゆることが楽しくてしょうがない。この理由は、若いころと言うのは、身の回りで起こるありとあらゆる出来事は、すべて初体験であり、周り中が想定との落差と言う快に満ち溢れているからです。これが歳をとればとるほど初体験が減り、結果笑いも少なくなるわけです。

逆に歳をとっても、毎日が再発見と言う形での初体験を繰り返す人たちもまた、若者同様笑いが絶えることはありません。

笑いといえば思い出すのが、2年ちょっと前に書いたネズミを笑かすと犬もよろこぶのか?です。

デジタル処理された音と、この生の音との違いは、このヒトには聴こえない倍音です。ヒトが聴く音には無意識下で聴く音域が存在していることは、有名な話です。つまり犬だけではなくヒトも、この50キロヘルツの音に無意識に反応しているはずだと言うことです。

もし、ヒトの笑いの中に、この倍音としての50キロヘルツの音があるとすれば、実はこれが笑いの効用の本質ではないかと言う、そう言う気がしてきました。個体間の遺伝子同士のコミュニケーションツールが、50キロヘルツの音であり、笑いと言うことです。

このコミュニケーションとしての笑いの効用を考えると、笑いとは個体間における快の伝達手段ともいえます。

笑うことの意味をこのように考えてみると、冒頭の笑えない症候群の本質が見えてきます。それは、笑えないのは伝えたい快の不在ではなく、これとまったく逆の伝えたい快の存在証明以外のなにものでもないと言うことです。つまり無意識のうちに、笑えないことを自らに訴えることで「快」の存在を顕在化させようとしているのです。

まことに人の心とは、奥深いの一言に尽きます。 KAI